1998年のAC保護団体の変遷について

1.導入ーAFC運動の目標の変遷ー

私はAFCが改善を求める物事が以下のように変遷していたと考えています。

  1. 生命の危機の回避(2009年初頭~奇蹄病アウトブレイク終結)
  2. 継続した医療体制の提供(アウトブレイク終結~2011年)
  3. AFCが不自由しない社会の実現(2010年後半~)

初めて日本でAFCの存在が大々的に注目されたのは2009年の奇蹄病アウトブレイクです。奇蹄病に感染したことによる死亡を防げるようにすることが求められるでしょう。
次にこれらの課題が解決されてアウトブレイクが終息すると、次に奇蹄病患者がリハビリやカウンセリングといった長期的な医療を享受することが出来るような医療機器、体制が必要とされます。
そしてこれらが達成されて安定して生きていくことが可能になると、AFCが異常性を持たない人間変わらぬ暮らしが出来るような社会の形成が求められるようになるでしょう。

これらの物事は対象とされる人々の範囲が徐々に拡大していることが分かります。1つ目は奇蹄病患者へ向けたものです。2つ目は基本的には奇蹄病患者に向けたものですが、諸事情で治療が必要な生活を送っているAFCも含まれるでしょう。そして3つ目は主にAFC全体へと向けたものです。

さて、対象とされる範囲の拡張は意見の多様化を招きます。一つ目の支援の範囲は「奇蹄病患者のみ」であるとして人々の意見は一致するでしょう。しかし三つ目の支援の範囲は「奇蹄病患者のみを支援しよう」、「AFCは皆支援しよう」、「AFCだけでなくAC全体を支援しよう」といった風に人々の意見が分かれるでしょう。
さらには、その手段もどんどん意見が分かれていきます。一つ目は主に「奇蹄病患者に対する救命のための施設や体制を作る」こと以外は主要な手段となり得ないですが、三つ目は「AFCへの差別や偏見を防ぐ」や「AFCと一般市民とを分けて居住させる」などの多様な方法があるでしょう。
このような、意見の多様化はAFCに関する運動を行う団体の変遷を招くでしょう。

2.AFC関連の運動を行う団体の変遷

2-0.奇蹄病発生直後-諸企業による支援-

まず奇蹄病アウトブレイクが始まった直後、急速AFCへの関心が社会では高まり、企業は募った募金や売り上げの一部などをAFC(当時はほとんど奇蹄病患者の意味)に関連する事業やAFC個人へと寄付し始めました。これらは企業上層部のAFCへの同情や、家族を奇蹄病で失った従業員の声を理由としていたり、あるいは単に人気取りを目的としていたりするでしょう。これは運動の目標で言うと、「生命の救助」から「継続した医療体制の確保」などに当たる時期となります。

2-1.KAFCADA-AFCを支援する強固で巨大な共同体-

このような企業のうち、支援を受けられるような場所を一まとめにすることで、多くの人が簡単に支援を受けられるようにしたいと考えた企業が出資をしあい、AFCが一般市民と同じように暮らすことのできる世の中を実現することを目的として団体を設立しました。これが一般財団法人神奈川動物特徴保持者差別防止の会(Kanagawa Animal Feature Career Anti-Discrimination Association = KAFCADA)です。奇蹄病が発生したのは神奈川県であり、団体を作って状態をさらに改善したいと思って出資をするような、いい意味でAFCへの関心が強い企業が多かったため、本拠地が置かれたのは神奈川県でした。

この団体がとった手段は主に二つです。

  1. AFCであることを理由に被った損害に対する金銭的な援助
  2. AFCの社会的地位の向上を目的とする政治的な活動

一つ目の手段を取っている理由は前身となった活動が企業による寄付であったことが主な理由です。ここでいう損害への援助とは多岐に渡りますが、奇蹄病の治療やカウンセリング、AFCであることを理由とした失業、またAFCであることからうけたいじめに対する裁判などに対して、それに応じた金額を渡す形になります。組織の施設へと行き自分がAFCであることの証明、それにより損害を受けたことの証明などを行い、それに対して職員が判断するという手続きをふむことが必要となります。
二つ目の手段を取っている理由はAFC(奇蹄病患者)の直面する課題の変化です。この団体が設立された時期は「継続した医療体制の確保」から「一般市民との共生や格差の是正」へと変化する過渡期でした。社会的な内容の活動をする必要性がこれにより高まったのです。これがこの組織が設立された大きな理由の一つでもあります。ここでいう政治的な活動は抗議デモや署名活動、ポスターの掲示などです。組織に属さない人間の意見を参考にした上で団体の運営が中心となって、政治的な活動の内容を決めています。

2-2.KAFCADAの成長と壁-意見の多様化-

KAFCADAは最初は首都圏のみで活動を行っていました、しかし団体のよい評判が広まり出資元も増えることで、たった数年で活動範囲は神奈川県を中心に24の都道府県へと広がります。
しかしその数年でAFCの課題が完全に社会的な内容へと移行し、それにより団体内部では意見が割れるようになり結束力の減少が発生します。意見が分かれる過程は先ほど述べた通りです。このような状況で、KAFCADAの公式な見解としては「先天的、後天的を問わないAFC全体」を対象とした活動を行うことなのですが、その意見が組織全体へと共有されていないこと、また設立から数年でありKAFCADAの制度の整備が行き届いていなかったことが理由となり、団体はこの公式見解と一致しない内容の行動を(地域クラスでは)行ってしまうという問題をしばしば引き起こしてしまうことになります。
例えば「内臓型の奇蹄病の患者が金銭的援助を受けようとした時に門前払いされた」、「支部Aでは行われていた署名運動が支部Bでは行われていなかった」などが考えられます。支部/個人に判断を任せすぎたことや本部と地方との意思疎通がしずらかったことなどがより具体的な理由でしょうか。課題の変容による問題に対する価値観の多様化はこういった問題を引き起こすことになりました。

2-3.KAFCADAの解体

そして2014~15年頃、著名なAFCの芸能人やインフルエンサーがこのような問題を大々的に暴露します。メディアの意見がAFC及びKAFCADAに対して肯定的であり、あまり口に出せずにいたことなどは芸能人による暴露の遅れた理由となるかもしれません。有名人による暴露により今まで泣き寝入りしていたり気にしていなかったりしていた一般の人々も、KAFCADAが引き起こした問題を暴露し始め、KAFCADAは大炎上することになります。
KAFCADAはこのような状況に対して謝罪や組織の再編、制度の変更や意識改革などの対応を行うものの、すでに大多数の一般人から信用を失ってしまったこと、またカワウソと化したスペイン人難民の流入についても組織内で意見が分かれてしまうことなどを理由に再起不能なレベルでダメージを負ってしまいます。

2-4.JACHRPLの成立

そうして2016年ごろ、組織の維持に限界を迎えていたKAFCADAは各地に同様に存在するACの支援を行う組織へと提案を行います。それは「各地に存在するACについての多様な手段や目的を持つ団体同士が纏まり合うことでどうしても全団体の団結が必要なほどの事件への対応、全国的な支援ネットワークの確立、その人に合った団体の提案、などを各人の意見が衝突しずらい形で行えるようにしたい。」というものです。こうしてKAFCADAの解散と同時に誕生したのが、緩やかな形のAC支援団体の共同体「日本異常性保持者人権保護連盟(Japan Anomalous Career Human Rights Protection League = JACHRPL)」です。これを構成する団体は「岩手妖怪人間共同連合」、「関西異常病理被害者の会」、「全国乙種異常性保持者地位向上委員会」、「日本海神格共同体対人の部」、「動物特徴保持者のための協力機構(KAFCADAの後釜組織)」などを始めとして設立当初は50個ほどであったと想定しています。
加盟する団体は個々の出資元に加えてJACHRPLからも出資を得ることができます。加盟団体はそれぞれの運営方針には関与することはありませんが、仲が良かったり運営方針が似ていたりする団体同士は必要な技術や物資の提供、利害が一致する時の協力、利用者へと代替として提案するなどのことを行い合っています。恐らくJACHRPLのホームページで「あなたにあった加盟団体はどれでしょう?簡単に診断しよう!」といったコーナーがあり、このようなものを利用してJACHRPLはその人にあった団体を提案する活動をしているのではないかな…などと妄想しています。
これに加盟するためには申請を出し、JACHRPLの加盟団体のうちで過半数の賛成を得る必要があります。しかし「異常性保持者のためを思っていると社会的に認められる団体なら歓迎する」という規約が存在するため真っ当な団体が入れないということは滅多にありません。

AC支援団体バージョンのJAGPATOのようなものを想定してください…すこし違いますが。

意見のバラバラな団体同士でもなんとか纏まり合って異常性保持者への支援を大きな衝突の心配がなく出来る、新たな団体の参入がしやすい、加盟団体の知名度の向上などのメリットをJACHRPLは持っています。
これによって日本の全国的なAC支援は急速に進み、東京事変の頃には速やかに対応が出来るようになりました。この後二大陸正常化事件によるナツドリズムの普及がAC支援に影響を及ぼすのですが、それはまた別のお話ということで。
AFCについての課題の変容に伴う意見の多様化、そしてそれに対応するために変化する組織というものを描こうと思いこれを考えました。以上となります。

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