劇中におけるエッセイ - 1998年

「地中海同盟国 / マドリード=カイロ=アテネ枢軸」の成立

「2025年2月8日はこんにち、人類が忘れてはならない過ちを犯した日として記憶されている」史家のラウル・カーロはこのように述べ、サハラ戦争における国際社会の不作為が、後に国際社会の深刻な分断と闘争の原因となったことを指摘している。

その日、カイロにいた罪のない数万の市民たちは「人種的平等を達成するための戦いにおいて必要なわずかの犠牲」として、焼き殺された。セクメト作戦は一日でサハラ戦争の趨勢を決定付けた。事件当時、反夏鳥レジスタンス指導者だったラー氏(後に神聖エジプト大統領)は声明を発表しており、「当時カイロにいた人間は基本的にヒト種族の武装した民兵か、あるいは正規軍の将兵であり、民間人の被害は確認されていない」とした。

複数の国際機関やジャーナリストがこの発表に疑義を呈したが、短期間のうちにそういった声は沈静化した。事件から20年が経った現在では、その背後に国家や正常性維持機関を中心とした世論工作誘導があったことが確認されている。「反夏鳥で一致するヒトと伝承部族」というプロパガンダ戦略の一環として、さまざまな情報統制が行われていた。

すくなくともサハラ戦争から数年の間、ヒトと伝承部族の協力関係は表向き拡大する傾向にあった。伝承部族を市場経済へ組み込むべく、TT&Tは各国に政策コンサルタントを派遣して事業を急激に拡大した。各国・各機関は黙殺の対価として、安価な労働力と新たな市場を手に入れた。冷戦の崩壊によって資本主義のルールが地球を覆い尽くし、ヴェール崩壊によって超常的存在が明らかとなった21世紀において、(ヒトの基準において)満足な教育を受けられず、また技能を持たない伝承部族の多くは原則的に搾取される側の立場だった。

TT&Tは強力な神性を持った神格存在たちによって運営される企業であると同時に、どこまでも人間臭い一面を持ち合わせていた。それは利潤をあくまで追求するための冷徹さと、それに無自覚な傲慢さであった。カイロのデモ行進が掲げる夏鳥のマークの横に、TT&Tのロゴが並ぶのを目にするまで、彼らは自分たちがすでに「伝承部族社会にとっての敵」と認知されていることに気が付かなかった。依然として親ヒト的・融和的と目される穏健派の伝承部族が多数を占めるギリシャと異なり、エジプトは反ヒト・敵対的な保守派の伝承部族勢力の盟主となっていた。

すべてが逆回転を始めていた。もはや伝承部族保守派の言う「ナツドリスト」の示す範囲というのは、エジプト神族に隷属する一部のヒト以外のほとんどを指していた。それはさながら、サハラ軍事政権の主導権を握った過激派夏鳥組織の主張と相似形であった。伝承部族による反夏鳥を掲げたホームグロウン・テロの多発によって、実際に世界各国で夏鳥主義思想の拡大が起き始めた。

かつてのサハラ軍事政権を称揚する歴史修正主義的言説が大手を振ってメディアに現れるようになり、スペインやギリシャといった中立的立場をとる国は、対伝承部族テロ戦を掲げる国々に踏み絵を迫られた。スペイン・エステベス政権の経済政策に端を発する欧州通貨危機は南欧諸国──ギリシャをも直撃し、TT&Tによる社債デフォルトと同時に国家財政破綻を迎える。これはこの二ヶ国を反ヒト陣営へ追いやる最後の一押しとなった。

地中海の両端と北アフリカにおいて、もはやヒトは支配種ではなくなったのである。

ポスト・ヴェールと近代的理性の(完全な)終わり

ヨーロッパ文明は中近世から近代への移行のなかで、神のような絶対的上位者の存在を克服し、人間存在を理性によって立つものとして規定した。唯一神ではなく、自由で自立した自己を持つ人間が文明の中心に据えられた。ヴェールが剥がれたあの日まで、人類の近代は続いていた。

今日、その価値観は揺らいでいる。神は世界のあらゆる場所で姿を現し、目に見えぬ「非科学的」な存在が跋扈しているからだ。われわれが信じていた理性によって認識されていた世界観はすでに崩壊している。人類は一部の知識階層によって隠されていた真実の光に照らされたことで、新たな啓蒙を得た。

残念ながらそれらは、ここまでの歴史とこれからの歴史を完全に断絶させうる輝きを持っていた。われわれは誤った前提に立ったまま世界を認識し、それが正されたいま、また新たな世界観が求められている。かつて先人たちが否定した神のような上位者の存在は、気がつけばとても卑近なものとなっている。

わたしたちはもう彼らのように、人格ある神や可知の神を否定することができなくなっている。人の手によって討伐されてきた各種の「神格」たちは、啓典の語る唯一の神とは別種のものだという主張も聞かれるが、しかし、わたしたちの世界が何らかの非人格的な事象によって偶然に創造されたという主張は、もうヴェール崩壊前ほどの説得力を持たなくなっている。

われわれの文明は、ふたたび神を取り戻したのである。数世紀にわたって知識を独占してきた超常的諸結社は、実のところ、われわれの近代形成にも関わっており、神を捨てたかに思われた近代文明は、実は神の握った手の内にあったに過ぎなかったのだ

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