緑宴鉄幕
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30世紀ともなれば、全てはもはや人の手を離れていた。医も、法も、時も、愛も何もかも人がいなくても事足りた。むしろ人は邪魔になった。機械だけあればそれで良かった。それはもはや、ずっと前からそうだった。かのXANETが人々を救い、助け、支え始めた時から、それは世界を管理し始めていた。

5世紀前に正常性維持機関が自らそのヴェールを剥がした時から社会はもう後戻りできなくなっていた。世界には機械があふれた。とある国ではもはや労働は趣味ヘと堕ちた。かの日本ではもはや睡眠欲、食事欲、性欲だけが人を動かす原動力とへと成り代わっていた。そのうち性欲を残して2つすら、或いはそれすら含めた全てもはや脳情報のデータ化を伴う義体化、所謂ニューロアークの実用化で趣味ヘ堕ちた。もはや死すらも堕ちかけていた。

しかし一人一人の人間の存在意義が揺らぐ程度はどうでもよかった。かのXANETは、ヴェールが剥がれた少し後から運用され始めたその時から、それは世界大戦を百回防ぎ、パンデミックを千回防ぎ、天災を万回防ぎ、肌色や性別での差別をこの世に0にして、やがて全ての原因を消し去り、もはやそれは神とも呼べた。それはこの世に福音をもたらしていた。

そして

その神は、世界を一瞬で塗り潰した。


神枷 甲斐はひたすらに退屈で、平凡で、苦痛だった。彼は進み過ぎたこの世界においてひたすらに無力だった。財団やらGOCすら、XANETを創り出したアトラスタにとってとっくの昔に彼らは看守でなく顧客となった。こんな世界で、甲斐は単なる危険思想集団の1つでしか無い"修正花卉"の長であった。

今、時は2819年。かの中国において、彼らによる最初で最後の最大最悪植物テロー

"霾生え"が起きた年。

そして、今はそれが起こる前の話だ。

修正花卉は今、割と庶民に対して発言権や人気はある方だった。彼らはアトラスタの傍若無人な振る舞いにグリーンスパロウやGSFよりも先にコメントを飛ばし、反アトラスタを誰よりも実行している者達であり、2815年の史上最大の世界恐慌である"Break"を引き起こしてからも尚世界の王様気分であるアトラスタに対し誰よりも真っ向に文句を言う者達だった。…だが、実際世界の王様であるアトラスタに対し、単なる有機物崇拝集団がここまでやれているのは何よりも長の"神枷"の鱗片持つ口車あってこそである。

だからと言ってはなんだが、その長である甲斐は既に諦めていた。諦めていたとは、人々に対してだ。それは勿論アトラスタを含む世界を管理する大企業側ー、いわゆるTAPトラストやら、エンゲルベルト、そういう人間達。…と、それの創った技術の恩恵を散々享受して起きながら、都合が悪くなれば叩く人間達。つまるところ、全人類に諦めていた。

「あーぁ、ほんっと人間って何なのかしらねぇ」

生物学的男性のトランスジェンダーである彼は、外見はほぼ完全に女性だ。樹木その物がベンチのように成長したその椅子に腰掛けながら、甲斐はクダを巻く。それを彼の右腕であり元アトラスタ勤務、つまるところ元々敵対していた春宮が慰めるのがもはや恒例行事と化していた。

「またそれですか、甲斐さん…」

元アトラスタ勤務という人間は多い、アトラスタに人間の労働者なぞ不要という観念で、アトラスタは常に人を減らし続けている。その中でも彼女は、かなり早期に解雇され、生き甲斐を失ったタイプの人間だった。…それも、医者である彼女は患者と引き剥がされるというかなり酷な形だった。

「何回でも言うわよ…と、そういやあんたの患者だった錦くん退院したみたいね」
「そうなんですか、さっすがHXS様ですねえ」
「Health XANET System…まぁ、この世から医者を駆逐しただけあるわねぇ、改めて考えるとXANETの万能さえぐいわ」
「アトラスタ側ってだけで、単なる子会社の神々廻すらあーんなおっきなビル持てちゃうんですからね」

春宮は自分らの拠点から遠く見えるアトラスタ外郭企業である神々廻生命保険の超高層ビルを呟きながら言った。春宮自身、元アトラスタ社員ということで、そこそこにそこそこな確執はあった。しかし甲斐と"最初の3日だけ"あった。とはいえ、甲斐の口車の前にそれは全て熔けた。しかし今日は、その甲斐のよく回る口があまり回らなくなっていた。

「…たまーに甲斐さん、そのむっちゃ落ち込むモード入りますよね。何かあったんです?最近TAPがまた粉飾してて大赤字出した出したくらいしか、大きな出来事無かった気がするんですが…」
「…その粉飾も、アトラスタの起こしたブレイクで死にかけのあそこなら仕方ないって感じを私は感じるな」
「え、甲斐さん粉飾肯定派ですか」
「違う」

2815年に各国の経済において重要なシステムを管轄するXANETが同時多発的に機能不全を起こし、結果的に世界経済において多大な混乱が引き起こされた。それは世界同時デフォルトが引き起こし、結果的に失業者2400万人と自殺者3700万人、そしてアトラスタにおける過去最大損失を叩き出した。歴史の教科書に必ず出てくる様な事柄であり、この一連の事象を"Break"と世界では呼んでいた。

「…にしても、なんだかんだほんっと自然が無くなりましたね、ここ」
「世界全体が自然なんて育てるくらいなら便利な機械を置けって風潮だしね、実際自然が出来ることは機械が数十倍は上手くやってくれるし、場所も取らないからそうなんだけど」
「…いーくら天災全部を克服して、地球温暖化とかそういうのも全部機械で解決しちゃったからって、そのうち大目玉見そうな気もしますけどね…」
「まぁ、今までの人類の摂理から言ったらそうよねえ。舐めるとだいたい3倍になって返ってくる…東京事変みたいにね」

東京事変。それは、天災を克服したなんて調子に乗っていた人類に神の御業を知らしめた、破滅。もはや数百年も前の事だが、それは始まってから267年間、東京に始まり日本を飲み込み、中国へと侵食し、やがてアジア全てを堕とした。そして、それは"いつもの通りに"唐突に終わった。

「対外的にはどっかの国がやらかした新型兵器の実験とかでなんとか誤魔化してたけど、いまだ再発可能性あるんでしょ、あれ」
「逆にあれが世界のいろーんな事のリセットになったからこそ、今の世の中があるんだけどね。しかもあんなの再発可能性とか考慮してたら何も出来ないし」

実際、それは1回限り起きればどの世界においても再発する事は無かった。しかし春宮は咲き誇った7つ葉のクローバーを撫でながら溜息をついた。彼女は懸念していた。天災を、人災を、そして目の前の男を。彼は"単なる危険思想集団"であった修正花卉を"アトラスタへの御意見番筆頭"にまで育て上げたこの男を。そして、その男が今何を考えているのか全くわからないその不気味さは、なかなかのものだった。

「あーぁ、ひっさびさにアルベルタにでも会ってみましょうかね」
「…は?」

その不気味な男の口から出た名は、まさかのアトラスタ副社長の名前だった。


「無力な神枷」×「生活の為に国によって行われた思い出の場所の破壊」×「歪な前進をするTAPとアトラスタに巻き込まれるだたの人間ら」

案件番号 SC924-428-168-186
案件分類 失踪
事件性評価 E
記録日時 T2927-07-06
執行担当 司法執行ザネット"テミス"刑事機能執行システム"チェイン"管理ドローン/A3728からA3734

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