古代CN支部についてのメモ

SCP-CNの成り立ちについては日本語圏においてはほとんど不明瞭である。2017年以前はwikidotが激過疎で、代わりに別サイトでの活動が中心であったことから、「当局の規制を避けているからでは?」というような噂が流れていた。その根拠として挙げられた1のが「中国では財団(基金会)という単語が検閲対象になっている」というものだが、大陸では「中国红十字基金会」「中国宋庆龄基金会」のように普通に使われており、中国のネットで検索しても基金会は問題なくヒットするため、噂の信憑性にはかなりの疑問があった。

残念ながら、CN支部には自支部の成り立ちについてのエッセイは今のところ存在しない。真相をはっきりさせるべく、筆者は2020年11月、CNの古参著者と思われるM氏2に直接話を伺った。その結果、以下のような流れが明らかとなった。

CN支部の歴史

2011年7月頃 - 百度貼吧(バイドゥ掲示板)にscp_foundation吧(SCP財団板)が出現。SCP記事を翻訳し始める

2011年11-12月頃 - 初期ユーザーの中心活動拠点として、_Arthas_DK_がSCP論壇Forumウェブ(別名: 旧論壇)を設立

2013年頃? - wikidot外に旧SCPwikiが設立される。ただの翻訳置き場として使用(しばしば別のものが紛れることも)

2013-2014年頃 - SCP財団CN支部(wikidot)設立。メイン管理人はAreyoucrazytomAreyoucrazytom

2013-2016年 - 論壇とwikidotで並行して活動する形になる
→論壇はディスカッションや下書き/翻訳の投稿に、wikidotは完成品の投稿や翻訳を転載する場所に3

2016年後半 - wikidotがオリジナル記事の投稿を完全開放する。旧論壇は徐々に放棄される4

2016-2017年 - Areyoucrazytomが新論壇を立ち上げる。ドメインは旧wikiのものを使用し、機能は旧論壇と同一だった。しかしながら、ユーザーは少しずつwikidotに移住しており、論壇のアクティブユーザーも徐々に非アクティブし、僅かな人しか残らなかった(ashausesallashausesallなど)。

2018年? - 新論壇の運用を停止


ざっと見た感じ、最初期のCNコミュニティはJPでのふたば☆ちゃんねるのように、掲示板で形作られたものだったようだ。その後、フォーラムサイトや翻訳用サイトが設立され、少しずつwikidotに集約されていった。一応、規制による影響でフォーラムサイトが廃墟化したりしているが、これに関してはgoogle締め出しの巻き添えであり、SCPコンテンツそのものは(この当時は)お咎めなかった様子だ。

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