多摩のフリーポートを考えるスレッド

構想の目的

  • 多摩にENのようなフリーポートを作劇上の舞台として用意したい

位置づけ

  • 収容排撃活動の脅威から逃れられると良いので日本政府の施政権が及ぶといい
  • JAGPATO認可団体の拠点や学術機関があると記事のネタに使いやすい
  • 少なくとも近代には存在する

以上前提条件。

街のイメージ

  • 超常機関が介入してるだけで多摩のどこにでもある土地っぽい姿を想像
  • 近代的な交通機関・官公庁オフィス・研究・教育機関、人口もエスターバーグより上は無いと思うんで、5~10万の間。狭めの未来都市にコンパクトに人口が収まるイメージ
  • 政府の特事畑の出先機関やJAGPATO加盟組織の関東拠点、そして市庁舎があり、陸軍・異調施設跡地にあるコンパクトで近代的な新市街と(立川や八王子の駅前を想像してほしい)、そこからモノレールで山に分け入ったところにある千人町周辺の学術機関群(多摩動物公園の辺りを想像してください)で構成されており、周囲はクソ緑の谷地・盆地で遠くまで行ったら帰ってこれないみたいな環境を想定
    • 日中に街中歩いていたら目に見えて危険なアノマリーに遭遇するとかそういうことはないし、クソ緑のキャンパス内でも野生動物に会うレベルとかでアノマリーに遭遇することはない。後者の場合は昔出たイノシシが数年話題になるぐらいの感触で、超常教育機関の大学一年生では、一般人にとってのイノシシな感じの危ないアノマリーが出る。山に入った上で旧道から逸れたところにいくと無事に帰ってこれるか怪しい感じになる。
    • ある程度開発が及んでない地域があるなら観光名所とかも作れそう。
      • 地雷原(じらいばら):。mineの方の地雷原(じらいげん)だと思われがちだが、IJAMEA残党のジライ集団が地中に隠れ潜んでいたことから名づけられた地名。なお、ジライが辺り一面に地雷を埋めて徹底抗戦の構えを取っていたので本当に地雷原(じらいげん)でもある

名称案

  • 音が同じだと英訳したとき見分けがつかない
    • 音の上で既存の地名と見分けつかないのは行政も嫌がりそう
    • 「新」を付けるとか、個人的に何とも言えない多摩の行政地区名としては「西東京市」の例を借りてくる
      • 西八王子は実在する駅で、千人町にある。そこから接続するのもいいし、千人同心・千人町の設定も含めて拾えるかも
  • (任意のネーム)+ニュータウン/プラーザを付けよう!!!
    • なんか悪い事があった場所とか縁起の悪い名前の場所は ~ニュータウンとか ~プラザとか想像がつきにくい名前に変えられる

はちおうじ/はちおうぢ

  • 捌往路
    • 往路は日本語圏における「道」に相当しそう
    • 鉢合と絡めて鉢{合/逢}{道/路}でもいいかも
      • 蜂でもいいかも
        • なんとか上人が諸国行脚中に蜂に襲われた往路(道)であることから付いてそうな名前だ…
    • 命名が近世以前の場合、歴史的仮名遣いにおける「路(ぢ)」と「王子(わうじ)」の混同が不自然ではないか(以下Twitterツリー
    • 往路を「わうぢ」と読む用例は江戸末期や明治期以降にありそうである
      • そもそも「わう-ろ」に吸い取られて用例を見つけるのは至難
      • 「現在の捌往路が、近世よりはちおうじ(厳密には"はちおうぢ")と呼ばれていたかは資料が極めて少なく、{脇/裏}往還などの記述が多い。明確に現在の捌往路を指して「{八/捌}往路」と記載したのは明治期以降の九十九機関の史料に拠る。」とか
        • 明治以降だと却って公教育による歴史的仮名遣によって路・道を基本「ぢ」と書くようになる(例えば木曾路は「き-そ-ぢ」)ので、整合性取りにくい。江戸末期から慶応年間あたりにすべきか。
    • 往路(おう-じ)が重箱読みなのが、地名としての違和感の1つかもしれない。往路で「ゆくじ」とかなら個人的には大分地名感がある(地名だとそのうち「ゆうじ」などとウ音便化しそうな気も)
      • 江戸時代までに「ゆくじ」で成立してれば、蒐集院なり無尽月導衆の前身の忍者一味なりに(ちょうど高尾山は天狗伝承も)、洒落込みで「おうじ」読みに変化させられそうな気がする。作中での由来も洒落にしちゃえば良いため。
    • 往路(道と同義)説を広げて、往路(オウロ?)が実は中国では「道 (Way)」的なものを指す言葉で、遣唐使あたり経由で日本へ伝わり(意味が変わりながら)定着した云々とかは割とそれっぽさがあると思うが、行路なんじゃないかという気もする…
      • 「戻ってくる手法がないから行くものばかりだったが、近代になって異界へのポータルを開ける方法が(或いは中世末か近世に南蛮人や紅毛人経由で、または唐人経由で、或いは自ら発見して)明らかになって、それ以降フリーポートとなった」
        • 異郷に訪問しても帰ってくるものは少ないから、中国では「Way」のことを「往路」と呼んでいた説とか
    • 捌往路の語源は?
      • 捌往路の「捌」は八の大字であり、往路(道と同義)が通ずる隔離次元であるから八往路
      • 隔離次元(捌往路)内には、基底次元と通ずる「道」同士をつなぐ山道(山道がいいけどでなくともよい)があり、その結節点にある集落には8つ山道が通じていたから
  • 八大路
    • 八大路は「はちおおじ」と呼んでも違和感はない(おうじとおおじだが、発音と英字は同じ)。
    • 八大と書いて”やひろ”とか
      • 一面緑の多摩丘陵に小京都な地名は似合わないという偏見
        • 空間の中が街っぽければまあ、ギャップが効くかもしれない。が酩酊街と雰囲気被るので好みではない
  • 鉢逢路
    • 逢路は「あふじ」で「おうじ」、逢坂の関みたいに。逢(あふ)と路(みち)はいずれも訓なので違和感も少ないかも
    • 鉢逢路(はちあふみち→はちおふじ)が、発展後に八大路(はちおおじ)に転じるとか

歴史

近世

  • 多摩地域で辻斬りが現れて、町では「八王子城の亡霊が夜な夜な町に現れ、前田利家の首を探している」と噂になる。幕府はこれを怪談を隠れ蓑にした悪質な人斬りだ、として千人同心を派遣する。しかし、千人同心の部隊が発見したのは後に捌往路と呼ばれる異常空間と怨霊にカテゴライズされる原始的なアノマリーであった
    • 千人同心が多摩郡に広がって農耕生活を営んでいた理由づけとして、捌往路を通じてやってきた人々の監視を目的にしていたりしそう(もともと甲州口の警備をやっていた)
  • 八王子といえば戦国時代屈指の大虐殺で有名な八王子城があった場所でもある
    • 道経由で逃げ出した、あるいは道に辿り着けなかった人々を惨殺したとかそういう悲話が似合いそうだけど、実際は後世の作り話というオチもあり
  • 千人同心が投降した経緯から、九十九機関がカノンとして採用できるならばその場所が後にフリーポートになっていく経緯が作りやすそう
  • は東国の出先機関で鎌倉時代に六波羅探題というものがあったので、それにちなんで八王路探題を、訳したときに同音にならない&響きがカッコいいので提案しようかと思っていた

近代

  • フリーポート化は戦後、軍施設跡に出来たヤミ市を契機にするのもいい。それ以前の経緯として最初九十九が抑えたが九十九の弱体化で軍部に渡ったと考えると歴史がリンクして楽しい。
  • 元々山がちな地形の中を千人同心が切り開いていたが、その後軍部に接収され、軍事利用のために空間を少々強引に改変して平地が形成された説
    • 終戦後に軍部と調査局が施設を破壊し空間の整備が放棄されたために、捌往路の安定性は損なわれていたが、基底現実の焼野原から多くの市民が不法に居留し闇市やバラックを形成するなど、軍部と調査局の調査を進めていた進駐軍を悩ませた。
      • 空間の安定化のために蒐集院や理外研を派遣したのでは

現代

多摩の背景情報

  • 八王子城、高尾山、甲州街道、八王子千人同心……大正天皇陵や昭和天皇陵もある
  • 西多摩には鎌倉街道があり、江戸時代も現用
  • 日野には天然理心流道場があり新撰組と深い関係がある
    • なお、江戸時代の関八州は旗本領が細切れになって居り警察力が及びにくいために治安が悪く、関東取締出役が成立したのもこのためだが、天然理心流など剣術の研鑽が流行ったのも自衛のためである。
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