異常事例第二一一九号
評価: 0+x
blank.png

帝國異常事例報告


flyingfire.jpg

異常事例第二一一九號実例

番號: 異常事例第二一一九號

發見時刻: 皇紀二五七七年一月二八日

發見地點: 京都府紀伊郡1

取扱主體: 大日本帝國異常事例調査局 菅田すがた將軍まさくさ2・中尉

經歷: 大正九年一月二七日夜より三〇日夜迄發生。要因不詳。

異常分類:

對應指針: 監視

槪說: 此は、京都府紀伊郡域に於いて夜に觀測されし火球である。日暮れより幾ばくか後、五十餘の火球が現れ野邊を彷徨い夜明け前には消えたとの證言しょうげん複數あり。京都支局より關西本局へ報告

恐らくは「火球」(『大日本白澤圖集成3』第三卷三六三頁)、或いは「人魂」(同第十一卷一六八頁)の類であろう。特に、「古戰場火」(同五卷六七二頁)に近いとみられる。

『宿直草』4に「戰場の蹟、火もゆる事」として、次の如くある。

寬永十一の夷則5二日に.わか江6のさとにゆきあるかなきかの月にすゞまんとて、暮過つゝも四五人つれていでけるが.
(中畧)
いなばもそよぐ田面にいでしに.三十閒ばかりさきに.煌々燿々として火もえ出たり.長さ四五尺ばかりにて.よついつゝほどつれだち.四五閒ほど遊きてはきえ.きえてはまたもえ.海原にたつなみのごとし.
いざなひし人かたりしは元和の軍7のころ.五月六日8に重義輕命の勇士おほくこゝに死す.その亡魂の今もまだ火となりてもえさぶらふ.はやさりゆけるみかき守.ゑじのたく火になけれども.よるはもえつゝ物おもふらんとあはれに侍るといふ
(以下畧)

これ神異方9の鳥山石燕10いう所の「古戦場火こせんぢやうのひ」也。若江に限らず、古來戰の激しく忠君の士死せる處へ亡靈・火球のよく現れる事は、人の良く知るところである。殊に年忌・年祭の年に當たっては、此の火靈多く現れて屡々巷閒の語る所となっている。

本年は戊辰の戰より四十九年に當たり、一月二七日より三〇日はその端緖たる鳥羽、伏見の戰に相應する。以爲おもへらくは、當時の死靈蘇りて現世に現るるものかと推察される。本年は五十囘忌であるから、火球の現れるのも得心のいくところである。火魂となるというのは竝々ならぬ志あってのことで、その志士の忠誠が何處へ向いているとも、志が現在の政體・世界へどのような影響を及ぼさぬとも不明である。今後戊辰の戰に於いて激しく死者の出たところに同樣の火球が現れ何らかの變事を起こさぬとも知れぬから、よくよく注視するものとする。

付記: 山梨縣勝沼、栃木縣宇都宮、東京都上野、福島縣白河以下東北各所、及び北海道函館11等にて注視し、いくらかの地に於いて異る異常事例の發見には至ったものも、本異常事例と同じ火球は特には遂に現れず。此は京都府紀伊に特異なる異常かと思われる。

明年は五十年祭なり。本年同樣火球の現れる恐れ甚だ高し。以て十全の備えをなしてこれに備えることとする。

付記二: 皇紀二五七八年一月二七日、米津よねきつ元帥もとかみ12及びと紀伊にて待つ。日の沈み東より月の現れて13より數十分ばかり後、豫期の通り火球の羣何處ともなく現る。

尋問記錄


日時: 皇紀二六〇四年十月六日 零時半
尋問官: 米津元帥・中尉
被尋問者: 異常事例二一一九號甲種實例第一號 黑井くろい澄軒ちょうけん

當記錄は米津少將の行った尋問を、速記者が記錄した物である。

米津:


出典
https://toyama.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=7505&item_no=1&page_id=32&block_id=36
『宿直草』
荻田 安静 1677,富山大学学術情報リポジトリ

特に明記しない限り、このページのコンテンツは次のライセンスの下にあります: Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 License