T150 Horseracing Races 002 想像図
確実
- 馬券販売は行われている(旧・競馬法の施行)
- 軍馬改良に類する需要が存在する(競馬法制定の動機と軍の存在)
- 但し途中から儀仗部隊などの為となっている可能性は濃厚(機械の発展車輛の普及)
願望
既定
疑問
- 第二次世界大戦を経験していない世界、或いは国家において、馬事はどのように変化するのか
- 抑々「総力戦体制」なしに集権的な日本競馬会が成立するのか?
- 軍馬需要が減退した時、競馬施行の建前はどのように変化するのか
- 大正初期などのように長距離が減少し(いうほど増えていない気もするが)、短距離が復活するか
- 競馬を行う名目の消失
- 現実の実質のように、畜産奨励とその資金源となりうるか
- どのような競走体系がとられるか
- 開催日程
- 祭典競馬を前身とする地方競馬との兼ね合いにより、ある時期から中央競馬は祝日の開催を避けるようになる
- 開催日程
- 競走名は変化するか?
- 少なくとも馬齢に関しては、現実同様あるタイミングで改定されるのが自然
- 国際競走についてはどうか?
- 大日本帝国の影響圏が存在し法制度にも共通点があるため、東アジアで国際的な枠組みが成立する土壌は十分にある
- ジャージー規則を見ても分かる通り史実において19世紀から種牡馬などの輸送は行われてきたが、大陸を越えた国際競走が行われるようになるのは、飛行機のような高速輸送手段が普及する1950年代以降である。それ以前は、特に欧州において、列車(や船)を用いて交流競走が行われていた。この初期の「国際競走」はワシントンDCインターナショナルのような一部競走に限定されていた。国際交流がより一般化するのは、国際競馬統括機関連盟や国際セリ名簿基準委員会が成立して、パートや国際グレードが与えられるようになって以降である
- 輸送技術はどのようになるのか
- 実況はどうなるか?
- 馬券はどうなるか?
WW2が無くなることによる影響が分からない
杉本竜『日本陸軍と馬匹問題』(立命館大)によれば、諸競馬倶楽部はアラブよりもサラ、速歩よりも駈足を望んだ。そのためにアラ系競走や繋駕・速歩競走を奨励し、長距離・重負担により実用馬選定を求める陸軍とは齟齬があったという。これは競馬俱楽部が興行上の成功に主眼を置いたのに対して、陸軍は競馬法の理念たる優良馬匹(軍馬)の生産に主眼を置いていたという目的の相違による。しかしながら軍も機械化進展の状況と、行政上直接管轄下にないというシステムの為にこれを強制することはできなかった。
大正12年、競馬法成立
馬券は盛況であり、日数の緩和を代替に(軍事目的を名目とした)国庫納付金割合引き上げ実施(競馬場増設は風教上の懸念から行われず)
関東大震災、救貧法の成立
→財源としての競馬の注目。軍部省・農水省・司法省側の思惑が重なり、競馬法の再改正と馬券票数・開催日数の緩和。
日本競馬会の訳はJJC (Japanese Jockey Club)の方がいいかも
そもそも1910年代後半、「天皇制国家が警察国家的絶対主義から家族国家観に基づく後見的福祉国家的絶対主義へと」転換しつつあった([1] p.110)。
Bibliography
1. 萩野 寛雄『日本型収益事業の形成過程』2004
ページリビジョン: 27, 最終更新: 20 Dec 2022 19:15