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参考資料: Dr. Groms Nr. 5: SKP Hintergrund等(詳しくは下記)
注意
新しい事項を追加する際は、bibliographyを用いて出典を記載してください。
確定された事項については日付を太字にしてください。
43年3月以降で(?)とついているのは基本史実の出来事です。
日付が不明な場合暫定的に?と表記しています。
あ号シナリオ、沖縄シナリオ、決号シナリオが混在していることに注意してください。
こちらも参考に
近現代日本史
世界の分岐まで
1943年
1943年中: ラス氏1がSSの支持を失う。すぐにSKPへ所属[1]
5月31日: 御前会議にて大東亜政略指導大綱が決定
8月1日: 日本、ビルマの独立承認
10月14日: 日本、フィリピンの独立承認
10月15日: 大本営陸軍部第16課(独・伊情報関係)廃止
11月1日: 大東亜省設立
11月5日: 大東亞會議開催
11月6日: 大東亜共同宣言が採択
12月5日: マーシャル諸島沖海戦
1944年
2月22日: エニウェトク島守備隊玉砕。ギルバート・マーシャル諸島の戦いが終了。
2月23日: マリアナ諸島空襲。マリアナ諸島に対するアメリカの侵攻開始
3月:
ドイツにおけるSKP-███による実験が大成功に終わる[3][5]
総統はSKPに対し多額のリソースを回すことを決定。ドイツにおけるパラノマリー研究は急激な発展をみせる
反反攻作戦
1944年
3月下旬: ドイツで石油を使用しないエンジンが開発される。即座に各企業・工場で開発が開始され、順次全戦車・航空機に配備。部隊の迅速かつ確実な展開が可能になる。これ以降ドイツ軍は石油にほとんど依存しなくなる[2][4]
3~5月: 松輸送の成功
4月: パラノマリー由来の兵器の実戦配備が開始
5月27日: 連合軍ニューギニアのビアク島上陸
6月中: 連合軍車両解析を試みる。自己破壊メカニズムを導入
6月~: マリアナ戦役が発生し日本はマリアナ諸島と母艦航空戦力を喪失。(決シナリオ)[6]
6月12日: オーバーロード作戦開始。SKP技術による周到な準備によって失敗。ドイツ側も相応の損害を被る [4]
6月15日(?): アメリカ軍サイパン島上陸開始
6月19~20日(?): マリアナ沖海戦
- 海神化された飛龍が参加(マリアナシナリオ)[8]
6月22日: バグラチオン作戦開始。オーバーロード作戦と同様の理由で失敗。ドイツ側も相応の損害を被る [4]
7月9日(?): アメリカ軍サイパン島の占領を宣言
7月21日(?): アメリカ軍グアム島に上陸
8月13日(?): アメリカ軍グアム島占領を宣言
8月ごろ?(マリアナ戦役後): SKP特使が来日。パラノーマリーの運用による戦局挽回を提案。大本営、SKP及び既存日本超常機関との連携を強化[6]
- 大使館などに「魔法の如く」人員を出現させるなどして認識させる[9]
9月17日(?): アメリカ軍アンガウル島上陸
9月: フィリピン戦役。日本軍は遅滞作戦に先進し航空・艦隊戦力を温存。[6]
10月: 台湾沖航空戦。日本は敗北。SKP情報は精査中/"大本営"とみなす[9]
同月?: レイテ沖海戦
44年中: SKP、SSから独立。SKPは異常な兵器の開発に専念(総統指令による)[2]
同上: Panzerkampfwagen VIII Maus、Landkreuzer P 1000、Eシリーズ開発。機甲師団の中心となる[2]
同上: イタリア再征服[2]
同上: ドイツ軍イギリスへ上陸開始[2]
44年中盤: 帝国陸海軍がパラノマリ軍事転用を真剣に検討(特使来日と同時期)[7]
1945年
1月: ソヴィエト連邦降伏。赤軍の縮小と大規模な民族浄化が発生[2]
- 日本が便乗してソビエト領へ侵入し工業施設を確保、高品質な不凍液を生産できるようになった可能性がある[9]
- これ以降日独間で異常技術関係の提携が活発化[8]
- 45年初旬にはパラノマリー兵器がそろう[7]
2月: 硫黄島戦役。
3月: 沖縄戦役。日本軍は遅滞作戦に先進し航空・艦隊戦力を温存。[6]
3月中: ドイツからSKP由来の連合軍壊滅の報(沖縄シナリオなど)[9]
4月1日(?): アメリカ軍沖縄上陸開始
4月7日(?): 戦艦大和以下の艦艇が払拭
沖縄戦: 沖縄シナリオ及び決シナリオの分岐 以下[9]
- 東弊等由来のパラテックで増強、海軍の沖縄突入成功。アメリカ世論に打撃(沖縄シナリオ)
- 大和以下は4月7日に戦没、6月の沖縄戦末から国内での遊撃体制構築にSKP技術を含め全資源を投入。沖縄は史実と同時期陥落(決シナリオ)
- 大和以下残存艦艇をパラテックで強化、「アレ」する。その他は上記と同一
決号作戦準備(1月~11月): 根こそぎ動員、全資源を南九州と高知に動員[9]
4~7月: 日本本土空襲の激化。アノマリー兵器の開発により、被害は史実より少なく済む[6]
5月: イギリス降伏。植民地には独立を認める(ドイツの継承防止目的)[2]
8月: 広島、長崎、ケルンに原爆投下。ドイツ、報復としてSKP-188-DEをアメリカ東海岸に散布。[6]
8月: アメリカ、ケルンへ原爆を投下。[2]
同月: ヒトラー、原爆投下の報復に大量破壊兵器の使用を命令。アメリカ東海岸壊滅[2]
- 東海岸へ散布されたエアロゾルは生物兵器B4「稲妻の嵐」(SKP-188)とみられる[5]
- これ以降SCP, AOIが率先して連合と協力する[8]
- この後米軍がドイツに対し報復としてペイルライダーを使用した可能性がある[8]
8月9日: 釜石空襲・大湊空襲。大湊鎮守府が機能不全に[9]
- 呉への資源投入が進む[9]
10月末: ヒトラー、全中立国に対し立場を明らかにするよう最終通告[2]
- スペインが即刻加盟。ポルトガルを併合し北アフリカ侵略に移行[2]
- トルコがドイツのエージェントの工作により同盟国へ宣戦。ドイツの指示のもと、中東・アラブ諸国を併呑[2]
- スイスが大規模な空爆の対象となる[2]
- 南アフリカが枢軸に加盟。許可を得てナミビア・レソト・ボツワナ・スワジランドを併合。戦闘には不参加[2]
11月?: 決号作戦(決シナリオ)で反反攻[8][7][9]
- 日本軍は全戦力・パラノマリを投入。連合軍戦力を殲滅[7][9]
- 米軍は第三・第五艦隊壊滅。英軍は……可哀そうなことに[9]
- 支作戦としてマリアナを攻撃(回復目的でない)[7]
- パラノマリ改造が施された大和型を使用?[8]
- 米国の国内でペリュリュー以降の損害から厭戦感情蔓延[9]
12月: スイスが降伏[2]
1946年
1月: ヨーロッパが完全に征服される。大部分はドイツに組み込まれ、同国の政治経済が再建・再編される。他の主権国家はドイツの命令への従属を迫られる[2]
戦争停滞期
1946年
ドイツは国内の回復と政治的再編を行う[2]
3月: コロネット作戦中止。被害の甚大さのため。[9]
1947年
?: フランスで蜂起が発生。フランス軍の残党によりフランスが独立[2]
?: ドイツ軍はフランス独立運動を鎮圧する[2]
?: ヒトラーが欧州の「浄化」を指示。SSとGeStaPoがSKPの助力を受けて反乱者・反対者を弾圧。ヒトラーは非ドイツ人へのこれらの行為を容認。これによりSSは西欧・南欧(特に仏・英)で推定3000万人を虐殺する。[2]
?: マダガスカル計画始動。強制収容所の収容者はマダガスカルへ輸送。隠れたユダヤ人も次々発見され処刑・輸送される[2]
1948年
?: フランスで災害(?)宣言[2]
?: イタリアが地中海島嶼の併合開始[2]
?: イタリアがギリシアを併合[2]
?: トルコ領島嶼部のイタリア占領が問題化。武力抗争に発展[2]
- ヒトラーの介入によりイタリアはコルシカ島以外を喪失。トルコは北アフリカへ侵攻開始[2]
?: 日本軍がインドのイギリス軍残党に対し核兵器を使用。[2]
- SCP-682-JP(SKP-682-JP)を使用した可能性[8]
- これに代替もしくは同時に、15kt「ホーキング放射爆弾」を投下した可能性[8]
?: 日本軍の核兵器利用に対しアメリカが広島・長崎へ原爆投下。戦闘が活発化[2]
終戦
1948年
?: 日米の核兵器利用に対しヒトラーは声明を発表。大量破壊兵器の独占が目的か[2]
?: オーストラリアとニュージーランドが日本占領下にあったインドネシアを攻撃[2]
?: 南北アメリカ諸国(特に非スペイン語圏)が枢軸国へ非干渉主義的な和平の提案。[2]
?: 回答を待たずアルゼンチンとチリがブラジルを攻撃[2]
?: ヒトラーは和平提案を拒否。南北アメリカ大陸に対し大量の軍・兵器を派遣[2]
?: ドイツが日本の援助のためニュージーランドを侵略[2]
?: カリブ海で会戦。艦隊全体の異常な駆動力のためドイツが優位に立つ[2]
?: 在キューバ米軍は海上から攻撃され降伏[2]
1949年
?: コロンビア軍が中央アメリカを侵攻。アメリカ軍はドイツ海軍による封鎖のためパナマを支援できず[2]
?: メキシコ軍の救援によりホンジュラスで侵攻が停滞[2]
?: コロンビアとベネズエラが中心となって中央アメリカを攻撃[2]
?: ドイツ軍は南米の侵攻を支援・実行[2]
?: ブラジルが事実上敗北[2]
?: 連合軍がメキシコまで撤退[2]
?: ドイツ軍の中央アメリカ攻撃が成功[2]
?: 日本軍がカリフォルニア沿岸諸都市への艦砲射撃を開始[2]
?: ドイツ軍がカナダ東海岸に上陸[2]
1950年
?: 日本軍がカリフォルニアに上陸
?: ドイツのカナダ上陸軍、アメリカ軍からの激しい抵抗を受ける。Blitzkrieg戦術などが機能せず[2]
?: ドイツのメキシコ侵攻軍、非戦術面での優位確保に依存。[2]
?: キューバに大量の戦術爆撃機が移される[2]
?: 有線誘導ミサイルの開発によってドイツ軍機甲師団の前進が食い止められる[2]
1951年
2月: オーストラリアがニュージーランド解放を企図[2]
同月?: ヒトラーの指示によりSKPはSKP-███(SCP-███-DE)を成長させ、散布用の爆弾を開発[2]
春?: ブリスベン・メルボルンから開発された爆弾が投下され、広域に散布される。[2]
2週間後: 感染封じ込めの必要からオーストラリアが降伏[2]
?: 米軍に対しSKP-███が使用される。前線の均衡が崩壊[2]
5月: アメリカが降伏[1]
6月末: アメリカ政府は降伏の意思を表明[2]
7月4日: アメリカ、降伏[2]
7月7日: カナダとメキシコが相次いで降伏。第二次世界大戦が正式に終了[2]
戦後体制
注意: この辺についてはgrom氏の文章のこのあたりをgoogle翻訳にかけるなりして参照してください。
1950年代
不明: 日本はカリフォルニア・オレゴン・ワシントン・ニューメキシコの4州を併合。[2]
不明: 日本が超常兵器開発の野心をみせる。ヒトラーはSKPがパラノマリー研究と生産について世界的な独占権を持つべきと決定。大ドイツ外の各国に支部が成立[2]
1958年
?: チリとアルゼンチンが停戦[2]
1961年
?: ムッソリーニが心臓発作で死去。ニュルンベルクに埋葬[2]
1962年
?: ナショナリストが南チロルで権力を掌握。これをきっかけにイタリアはドイツに併合される[2]
1960年代
不明: ヒトラーの公式な後継者であったゲッベルスが死亡[1]
1964年
?: ポルトガルによってスペインが通告なく併合される(?)[2]
1964年末: 日本が大ドイツとの協議なしにウラル以東を併合[2]
- パラノマリー資源もしくはそれに類するものがあったためと推測[5]
同年末: ヒトラーが日本にウラル以東からの撤退を要求。日本は渋々撤退に応じる[2]
同年中: ロシア及びカザフスタンのほぼ全土がドイツに吸収され、ロシア植民地となる[2]
1965年
?: 南北戦争終結。アルゼンチンが勝利。南アメリカ内のスペイン語圏はアルゼンチン本土化、それ以外の南アメリカは東南アジア(?)アルゼンチン植民地に統合。旧コロンビア領の中央アメリカ諸国は中央アメリカアルゼンチン植民地形成のため結合。ホンジュラス以北の国家(中央アメリカ諸国・メキシコ)は独立を維持[2]
?: アルゼンチンからの保護のため、ヒトラーはメキシコに対し属国化を要請[2]
1965年?: トルコ首相大統領に選出。議会で多数党となり事実上の独裁化が可能となるようトルコ憲法を改正。各種工作によって政敵を排除し、世論の支持を獲得[2]
1966年
?: トルコ、オスマン帝国に改名。シャリア制復活。君主制が復活し、大統領は選挙制のスルタンへ[2]
四ヶ国同盟
1967年
?: ドイツで植民地省が設立
後総統時代ナッハ・フューラー
1970年代
不明: アドルフ・ヒトラーが死亡[1][4]
不明: ヒムラーが暗殺によって死亡[1]
不明: 一週間戦争[1]
1970年代後半: 戦車の主力がLeopard1、Kampfpanzer 70が主力化[1]に。
1972年
不明: アドルフ・ヒトラーが死亡[4]
不明: SKPが実権を握る[2]
1980年代~90年代
現代
2010年代において、インターネットやスマートフォンはすでに大衆化している。