「排水口 空気 逆流」でググる。
……いや「パイプユニッシュ」はもうしたんだって。……業者に依頼するしかねえのかな。
俺は、それがどうしようもなく面倒くさいので、排水管の汚れの次に可能性があるらしい、大雨の影響が今回の原因だということにする。うん、まあ、昨日は雨が降っていたからな。別に大した雨では無かったけど……都合の悪い情報は頭から無視をする。
ゴボゴボ。
しかしまあ、距離を置いていても気にはなるもんだ。ついPCから離れて、また風呂場に様子を見に行ってしまう。
ごぼッ。ごぼッ。
排水口の外蓋を空けて、中の色んな蓋状の構造(名前は良く知らん)を外していって、完全に集合排水管に直結する管が露出しても、それは鳴りやまない。
ごぼッ。ごぼッ。ごぼッ。
上を向くパイプの穴は水を湛えていて、それなのに、大きな泡が後から後から吹きあがってくる。見た目だけなら面白い現象かもしれない。このドブの悪臭さえなければ……。
ゴボゴボ。排水管の出入り口を覗くと、泡が弾ける度に、ひどい臭いの攻撃を食らう。
鼻の奥が腐るような、焦げるような……たまらん。やっぱり急いで排水口の蓋を元に戻し、風呂場を背にする。
ごぼッ。ごぼッ。ごぼッ。
背中から、泡の破裂音が呼びかけてくる。俺しかいないこの家の浴室で、他の何者かによる異音。
まるで何かが出てきそうだ。
浴室を出ると鏡が目に入った。年ばかり食った、どうでもいい奴の顔がそこにはある。
それはうんこ製造機なんて生易しいもんじゃない。長い年月の間に積み上げてきたものは、ただひたすらの非常に巨大な“無”だ。
……。
例えば、ホラーあるあるだと、浴室の異音はミスディレクションであり、風呂から上がって鏡を見た時に、キャラクターは一緒に映るオバケに気がついたりするもんなんだが。
まあ俺のほかには誰もいねえや。「ハイスコアガール」で有名な、漫画家の押切蓮介先生が言ってたな。自分は幽霊を見たことが無いからこそホラーを描くんだ、と。(活字の文章なんて読まんからホラーの大御所先生みたいな人の格言は全然知らん)俺も異音のたびに心のどこかで期待はするのだが、まあ今回も、つまんない思いをするだけだった。
大体、もし今オバケなんかに遭遇したら、そりゃビビりはするだろうけど、俺の人生大騒ぎだ。つまんない日常に、確実に変化が訪れる。だから、そんなことは起こるはずが無いのさ。
しかも、よりにもよってこの俺様に、化けて出るとかなw
ごぼッ。ごぼッ。
手洗い場のドアを閉めると、幾分か音はましになっただろうか。まあ気のせいだと思う。何にせよ音が聞こえはするっていうことは、浴室とこのリビングが完全には隔絶されていないってことであり、異臭の元となる悪い空気は確実にうちの全体に滑り込んできているわけだ。
リビングに入ると目に飛び込んできたのは、食い終わった何日分ものレトルト食品がテーブルに積み上がっている姿だった。目を逸らすと、今度は流し台に洗っていない食器の山。……まあ、元から割と不潔な生活をしているんだ、今更このくらいの異臭は、どうってことは無いだろう。
とはいえ、少しは気分が落ち込んできた。とはいえとはいえ。寝るってほどでもない。
リビングのPCで──やってるソシャゲのスタミナは尽きて、でも課金して回復するほどの気力も無いので──漫然とネトサなんぞをしていた。
“限定チケット”やエロ抱きまくらの注文状況を確認したりするためにWebメールを使っていたら、ふと、送信フォルダに、就活で出したときの、履歴書の添付されたメールが残っていたことに気づいた。
某進学校卒業、某有名大学入学、卒業……そういえば俺は、偏差値の頂点に近いところを渡り歩いて、今ここにいるのだった。
……思い返せば、それは脳裏にまるでありありと浮かんでくる。
“~ちゃん、頑張ったのねえ!”
“~くん、きみは天才だな! きみがうらやましいよ!”
かつては神童と呼ばれ。末は医者か科学者か。……それが今じゃあ、ご覧の通り。
腹の底が自然に、痙攣を起こし始める。くっくっと喉が鳴ってしまう。嗚咽にも似た、引き笑い。
ついつい額に手を当てて、目を細めてしまう。後から後から横隔膜が、何度も定期的な反復運動を繰り返して止まらない。そのたびに、かすれ声が口元へ運ばれて、空中へと出ていく。
……部屋の中の、残飯以外が置いてあるところを見渡してみる。
まず目を引くのは、大量のアイドルのグッズだ、買っても買っても見向きもしてもらえるわけでもない、他のファンにマウンティングするための。ピンク基調の缶バッジやらCDケースやらが積み上がって山なりの形を成している様は、興味の無い者が見れば、ともすれば狂気の現代アートにも見えるだろう。人間の死体が隠せる程度のガラクタ溜まりがもぞもぞと動いて、凌辱されて殺されて時間の経った女の死体がのっそりと出てくる様を想像したが、そんなものは特にいない。
それから、出会い系とか水商売の子達にいい顔してもらうために買っておいた贈り物、オキニの[検閲]ちゃんにも。アイドルと風俗ってのはまた別の良さがある。いずれにせよ俺の性欲を最高に発散させてくれて、その上こんなクズの子種が世の中に拡散するのを防いでもくれているんだから、頭の上がらない尊い職業さ。
まあそいつらのお陰で俺の財布はいつもスッカラカンになるんだけど。
本棚の大判のところには何冊かアルバムがある。デートしてくれる「系」の娘こに大枚をはたいて連れまわした、仕事でも観光でもまず行かないような極マイナー鉄道路線の駅で、電車を背景にして撮ったツーショットだ。これはもう100%マウンティングのためだけの代物だ。ネットの鉄オタどもに、二重に効果がある。
……。
(ごぼッ。ごぼッ)
少しでも冷静になるとどうしても音が耳に入ってくるな。……大分、疲れてきた気がする。寝よ寝よ。
布団に寝っ転がって天井を見る。
傍受した報告書より:
……侵入後のSCP-2662-JPは寝室へと移動し、被害者が就寝するまでの間、天井の隅に留まります。……
目をつむって羊を数える代わりに、己のあまりのつまらなさのことを考える。……承認欲求……。それを考えると、俺の中に出てくるのは、「なろう」とかじゃなくて“SCP財団”だ。
何せ俺は今でも高2病、ヒネた価値観のように見せかけていればカッコいいと思っている真っ最中だからだ。
そもそも読者諸君の一部は俺様が異世界転生というものにある種のトラウマがあることをご存知かと思う
(ああ~~、)
(SCP財団員に、なりてぇな~~)
もし頭の中を覗かれたとしたら七転八倒しそうなことを考える。
傍受した情報より:
……SCP-2662-JPによる被害者の選択基準の記述について、"多くの場合は直前の被害者の行動圏および人間関係"としていた部分を、"直前の被害者の生活圏"という記述に改めました。この言葉は当文書中では、被害者が社会的存在として他人と係わる範囲、というニュアンスに重きを置いて用いています。これは、前の被害者と無関係の人間が次の被害者となった稀有な事例と思われていたケースに対して、実際のところは、新しい被害者のSNSアカウントが前の被害者によって執拗に閲覧されていたという事実を受けて、再検討されたものであり……
いやでも正直な話、財団の団員になれたら、今のつまらない日常とはおさらばになるのは、まず絶対に確定しているだろう。もし俺が団員になれたら、俺はSCP財団のことをよく知っているんだ。その知識で「無双」してやれるってもんだ。
危険な化け物と隣り合わせかもしれないけど、でも、そんなことより、今の俺の色んなモンを、解決してくれるかもしれないってことの方がよっぽど大事だ。
……まあ、他の団員どもには、この俺様が上位の存在であるってことは知られないように気を付けなきゃあいけないけどな。そういう意味じゃ、特にセカイ系ハンターには要注意だな、(率先して自作の宣伝を挟んでいくスタイル)まあでも今の俺はどうせ財団の団員になっても無産なわけだから、そこは大丈夫か。
(ごぼごぼ)
良い感じに夢現ゆめうつつになりかけている気がする。異音も今となっては子守唄だ。
(ごぼごぼ)
ふと目を開ける。……天井が、寝入ろうとする俺のことを見守っている。
そこに俺のことを食べようと大口を開ける怪物はいない。
それがミスディレクションであり、この後に横を向くとそこでいよいよおぞましい化け物が襲い掛かってくることを思う。漫画の「不安の種」や「見える子ちゃん」に出てくるような、ヒトの顔を大きくアンバランスに崩壊させたようなぞっとするようなやつ。それが現実の3次元上に現れてくるならどういう風に見えるのかを考える。頭身の半分を占める巨大な顔の半分に、縦に巨大な切創が広がっていて、その赤い肉にこれまた巨大な眼球が包まれている、長い髪の毛の人間型の存在について考える。耳元で声の混じった息が聞こえてくることを考える。実際にはそんな音は聞こえてこない。粘土でできているような灰色の生首が、髪の毛の代わりに細い灰色の肉をフラクタル状に伸ばしながら、真っ黒な目でこちらを見つめてくることを考える。考えながら、横の寝室の入口の方を見る。
まあ何もいない。映画「カルト」に出てきたような、髪の毛を寄せ集めたみたいな先の尖ったシンプルな黒の線が、ぞわぞわと寝室の扉の縁から侵入してくることを一瞬考えるが、そんなことも無い。
傍受した情報より:
……ことは明白であります。奴めは、かつての自分を知る人間に対しては人格がネガティブな方向に変わったように振る舞い、ノイローゼのような素振りを見せ、その果てに自殺をする――そのような過程を経ることにより、自身に自由意思があることや、人を襲う動機が怨恨ではない、ということを、固定観念化した「霊の呪い」に対する印象によって、カムフラージュしているわけです。それは我々が最早……
そもそもなぜ、人が空想の中で恐れるオバケというのは、恐ろしい外見をしていて、ついでに叫び声や「バーン」「ドーン」というSEを伴って襲ってくるのだろう? それはきっと、まさしくミームっていうやつだ。現段階で最も広範化している表現媒体である動画の形式で、恐怖ホラーが大衆に伝播したことで、今はそういう形態が彼らに定着しているのだ。
……真の捕食者、殺戮者ならば、音を立てずに襲ってくることだろう。それは影に潜み、死角から一瞬で喉笛に食らいつく。哀れ被害者は襲撃者の姿を見ることもかなわない。ホワイどころかフーダニットも冥途の土産にできやしない。そもそも──恐怖の感情すら、きっと芽生えることは無い。
ホラーを思う。怪異を思う。再び、SCP財団のことを思う。
(ごぼごぼ)
合間に、異音。ガス。ホラー。姿を見せない捕食者。
……待てよ……?
傍受した情報より:
……現在SCP-2662-JPが特に侵入経路として「好んで」用いているのが、悪天候時における浴室の排水口であります。
これは逆流する空気自体に含まれている悪臭により、神経ガスとしてのSCP-2662-JP自身が放つ異臭をごまかそうとしているものと推測されておりますが……
配管から逆流する空気。悪臭。人の嫌なもの。雨の音に紛れてくるやつはもういるけど、それはまあ──寧ろ、逆に、参考にさせてもらって、だな。
ごぼッ。ごぼッ。ごぼッ。
承認欲求。それは頭の中で巡らせているだけで、ある程度は満たされるものだ。満足感、微睡まどろみ。――ふむ。
傍受した情報より:
……に関する詳細な情報は、知った者に害をなすようなことはありません。その一方で、現状では上級クリアランス保持者がいつでも参照を可能にしておく必要があるような、重大、深刻な情報も、特にありません。それ故にこそ、無闇な詳しい情報の広範化は避けるべきであります。それは奴めにとって、更なる「学習」の……
……こいつはひょっとしたら、うまいこと行くかもしれないぞ。
白字は黒字の公式/確定的な補足情報ではありません。