小説家きどりのクソみたいな人生譚
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AM 2:00。夜が更ける頃、都内某所のアパートの二階の一室から光が漏れだしていた。

「……ここは、……で、……これは……」

部屋の中ではモヤシみたいにひょろひょろの男──加賀 源がノートパソコンに向かって何かを呟いていた。加賀の手は外付けのキーボードの上に置かれていた。その男にしては細すぎる指がキーボードの上を駆ける。部屋の中にはカチャカチャというタイピング音だけが響いていた。

「うーん……違う」

そう言い、貧乏ゆすりで一定のリズムを刻みながら指をバックスペースキーの上に再配置して長押し。しばらくの思考時間を経て再び指はキーボード上を舞い踊る。下唇を噛みながら、文字を打ち込んでいく。カタカタという音に心地良さを覚えながら、卓上のエナジードリンクに口を付ける。あの薬臭い緑色の液体が喉を通り過ぎていく感覚に若干の不快感を覚えながら、雑にパッケージの空けられた魚肉ソーセージを貪る。

「書くとお腹空いちゃうよな〜」

虚空に向かってポツリ。独り言を呟いてエンターキーをタップ。すぐさま画面が暗転し、中央に「Saving Page」と書かれたダイアログボックスが出現する。直後ページの再読み込みが行われ、画面には打ち込んでいた文字列が保存された状態で映し出されていた。題名は「夢見男の受難」。加賀が「カゲ」というペンネームでネットに投稿している小説のような何かである。

「新作アップロード完了……っと」

口を開いて大きな欠伸をし、背筋を伸ばす。眉間の間のガンガンする痛みをこらえて一気にエナジードリンクを飲み干し、スマホでTwitterを開いて宣伝。下には軒並みいいねが1、2の宣伝ツイートが転がっていた。ツイートをした事を確認し、持ってる全てのアカウントでリツイートをする。リツイート完了、と呟いてスマホの電源を落とす。あとは寝るだけだ。と言わんばかりにベッドに倒れ込む。

時刻は既に3:00を回っていた。

◇◈◇◈◇



AM 4:00。都内某所の裏路地から悲鳴が響く。

「やっ……やめてくださ……」

悲鳴の先には血塗れの男。足先には17インチの包丁が刺しこまれている。真っ白なワイシャツはところどころに赤斑が出来ていた。男の目からは涙が零れ落ちている。目線の先には般若の面を被って右手にナイフを持つ男。

「お願いです……もうやめ……」

言わせるまでもなく、般若面が男の肩にナイフを突き刺す。男が絶叫し、肩からはとめどなく赤が溢れ出ていく。その様子を無言で眺める般若は仮面の奥で微笑んでいるようだった。

男は泣きながら足に刺さったナイフを抜こうとしていた。その様はまるで必死になる負け犬のようで、あまりにも哀れとも取れるものだった。その様子を見て、般若面は嬉々とした声を上げる。笑い声。人の死を一大コンテンツとして消費するかのように、ナイフを胸に突き刺した。男は何か言うまでもなく、絶命した。

般若面がその場を後にする。事後のその場には「1」と書かれた付箋と血の池に浮かぶ男だけがあった。







「速報です。……にて死体が発見されました──」

AM 7:00。テレビでは軒並み殺人事件について取り扱っている。画面には数人の警察官とブルーシートが映し出されている。ニュースキャスターによると現場には「1」と書かれた意味深長な付箋が遺されていた、とのことである。それを見た加賀は、漫画のように、持っていた食パンを床に落とした。

「……は?」

加賀の顔には困惑の色が浮かんでいる。それもそのはず、殺人事件の内容も、ニュースの報道の内容も昨日投稿した「夢見男の受難」の内容と同じなのだ。その細い目を最大限に見開いてテレビのモニタを何度も見直す。疲れているのではないか、と疑うがここのところ仮眠はよくとったりしているので疲れてはいないだろう、という結論に至る。

「偶然だよな……そうに違いないよな……」

若干、困惑する様子を残して落とした食パンを拾い上げる。まだ食べれることを確認して、再びパンを口に運び、ミルクとガムシロップの入った甘ったるいコーヒーで流し込む。飲み込み終えると同時に、時間を確認する。

「って、もうこんな時間か」

時刻はAM 8:00。大学の講義に遅刻してしまう、と考えながら焦った様子でリュックサックを背負い、アパートを後にする。間に合うのか、と考えながら全力疾走するも、運動神経、体力ともに皆無の加賀はすぐにばててしまった。

「あーもう、講義始まってるじゃん」

そう呟き、走りから歩きへと切り替える。体力不足からくる荒めの呼吸を深く息を吸うことで無理やり押さえ込み、大学の方向へと足を進める。大体15分ほど歩き、ようやく大学の正門をくぐり抜けた。講義中だからだろうか、人通りは然程なかった。

「今から出ても無駄だろうからなぁ……」

呟き、ポケットからスマートフォンを取り出して電源をつける。起動後の画面の通知に表れていたのは先刻のニュースの記事。記事のポップアップをタップし、内容を確認する。やはり何から何まで気味が悪いほどに一致している、と感じてすぐさま記事を閉じて電源を落とす。そして深いため息をついて一言。

「模倣犯、ってやつなのかなぁ」

そして彼は考えることをやめた。

・・・



「……でるあるからにして」

一時間後、加賀はあたかも最初からいました、というような面をして講義を受けていた。しかし、肝心の内容は右耳から入って左耳から抜け出ている状態だった。彼の今の思考を満たすのは例の事件。そして、模倣犯という、一番現実味を帯びていると同時にありえないものである可能性。

「そもそも、俺の小説が誰かに影響を与えるとは考えられないしな」

そう小声でつぶやき、右手でシャーペンを思考とともにくるくる回す。講義を受けてるふりをしながら、左手でスマートフォンをいじる。画面はTwitterのタイムラインを映していた。昨晩の自分が投稿した宣伝ツイートを見るも、リツイートはおろか、いいねすらついていない。そこから作品ページに飛んでみたが、プレビュー数は0。この状況では模倣犯などでるはずがない、と唯一の現実味を帯びた可能性を否定する。

「まさか……いや、そんなわけないよな」

ふと頭の中に湧き出てきた一つの可能性を、否定の言葉でかみ砕く。書いたものが現実になるなんてありえない。だけど──もし本当にそうだとしたら。そう考え、彼はぽつりと思考を口から漏らす。

「……帰ったら書いてみるか」

そして彼はペン回しをやめてノートに何かを書きなぐり始めた。書いているものは夢見男の受難の最新話の構想である。その後も彼は、ひたすらに講義を無視してノートに書き続けた。

・・・



PM 5:00。大学の近郊に佇むコンビニエンスストアのレジに加賀は立っていた。バイト先のコンビニでも頭の中は夢見男の憂鬱と例の事件のことだけを考え続けている。

「……みません、……すみません」

呼びかけられる声で現実に連れ戻される。

「え、ああ、はい。どうしましたか」

目の前には漫画雑誌と炭酸飲料を持った男の人が立っていた。はたから見れば少し苛立っている様子が伺えるも、心ここにあらずな彼がそれに気づくことはない。

「どうしましたか、じゃなくてね。会計してほしいんだけどいいかな?」

少し威圧的な雰囲気を纏いながら、男が問いを投げかける。すぐさま「あ、はい。申し訳ございません」と言い、加賀が品をレジに通す。

「合計で500円になります」

「最初からちゃんとやれよな」

男が愚痴を吐き捨て、500円玉を置く。レシートを受け取ってコンビニから出ていく。開閉に合わせてチャイム音がなったかと思えば、店の中には再び静寂が訪れた。

「加賀君、お疲れ様。今日はもう上がっていいよ」

店長が加賀に向けて告げる。時刻はPM 23:30。外の景色は既に暗闇に包まれていた。続きを書いて検証するために早歩きで道を進み続ける。夜道をぽつぽつと照らす電柱を通り過ぎ、アパートを目指す。

「早く帰らないと」

そう言い、指の爪を噛みながら歩く。30分ほどしてアパートに到着。外にある階段を上がって二階に移動し、自室の鍵を開ける。仄かな暗闇が加賀を出迎えたが、その暗黒は電灯の灯によってすぐに消え去ってしまう。雑にリュックサックをベッドの上に置き、ノートパソコンの電源をつける。

「頼む早く起動してくれ」

祈るようにして独り言を呟く。直後、パソコンのモニタに光がともる。貧乏ゆすりをしながらページを開き、文字を打ち込んでいく。大丈夫、内容はしっかり練っている、と心の中でつぶやき、タイピングを継続する。書く内容は「義眼の少年が殺される話」、この時代、義眼の少年なんてものはほとんどいない。そんな"レア"な人間を殺害対象にすることによって夢見男の受難が現実に影響を与えているのか確かめるのだ。

「ここをこうして、っと……」

額に汗がにじむ。指がキーボードの上を駆け巡り、モニタ上の文字数はどんどん増えていく。じわりと手汗が滲み、指を滑らせる。タイピングミスをバックスペースキーで相殺して再び文字列を入力し続ける。

「……ふぅ」

大体3時間ほどの執筆時間の後、深くため息をつく。画面には「Saveing Page」の文字列の入ったダイアログボックスが現れ、すぐさま消えていった。

「投稿完了……と」

ぼそりと呟いて、ベッドに移動する。

「明日の朝に死体が発見されてすぐにニュースになる、って書いたから、起きたらあの仮説がホントかどうかわかるはずだ」

そう言い、彼は眠りについた。

・・・



AM 7:00。目覚まし時計の音で加賀が目覚める。重そうな瞼のしたから寝ぼけ眼が覗き見えるが、目をこすって眠気を吹き飛ばすと同時に瞼を開く。

「そうだ、ニュース見ないと……」

リモコンに手を伸ばし、テレビの電源をつける。テレビには昨日と同じニュースキャスターが映っていた。そして、ニュースキャスターの口が開く。

「速報です。……で身元不明の少年の死体が発見されました。少年は右目が義眼であり──」

加賀が絶句する。現場にはまた「1」と書かれた付箋が落ちていたと次いで発表される。間違いない。

「俺が書いたものが現実になってる」

思わず口から言葉が零れ落ちる。普通に考えればありえないことだが、これはまぎれもない事実なのだ。それを両頬の痛みが証明している。

「うん、ちょっと気になるな……この異能じみた何かの詳細について調べようかな。もしかしたら次回作の役に立つかもしれないし」

そう言いながら着替えを始める。水色の半袖シャツにグレーのジーンズ。肌に布がなじんでいく。完全になじみ終えてことを確認して、加賀は家の外に出る。当然のごとく背負ったリュックには筆記用具と一冊のノート。持った電子機器はスマートフォンだけ。外に停めてあるマウンテンバイクに跨り、山の方向目がけてペダルを漕ぐ。

「そういえば、夢見男は連載どうしようかな。異能の内容によっては書くのやめないとな」

風を切りながら思考を吐露する。そんな思考を置き去りにするかの如く、自転車の速度はぐんぐんと加速していく。

1、2時間ほど自転車を漕ぎ続け、山間部にある空き地に到着した。目の前に小川が流れている空き地に足をつけ、リュックサックからノートとシャーペンを取り出す。

「ここなら実験できるかな……?」

若干怯えながら、ノートに思いついた短編物語を書きなぐっていく。家のアパートは1年前に建てられた、という日記や記録のような話から始まり、世界ではドラゴンが跋扈しているという虚構の話や地球の面積を拡大するなど……兎に角ひたすらに書きまくる。

「……ッ!」

手の平に痛みが走る。よく見ると手は赤くなっていた。親指の関節部が膨れ上がっていた。どうやら書きすぎてマメが出来たらしい。シャーペンの握られていた部分にはじっとりと手汗が滲んでいた。

「まだ書き足りない……これから比較実験ってところなのにな」

加賀は書き続ける。書いて、書いて、書いて。犠牲は既に出ているのだ。この際何人死のうが変わりない。その考えのまま一心不乱に書き続ける。5時間に渡って掌編を書き続け、やっと満足した顔をしてノートとシャーペンを仕舞う。

「よし……帰るか」

手を揉みながらそう言い、再びチャリに跨る。帰りに駅前のラーメン屋の前を通ることでようやく検証が終わる。

チャリを漕ぎ出し、茜色に染まった空に向かって一台の自転車が走り去っていく。2時間の間、薄暗い山道を走り続け、ようやく駅前に到着した。到着すると同時にラーメン屋のある位置を見る。

「……よし、仮説通り」

ちゃんとラーメン屋が立っていることを確認し、そう呟く。これで検証完了だ、と内心ガッツポーズをして家に帰る。

「よし……ある程度は自分の異能について分かったぞ」

そう言い、ノートパソコンの電源を付けてメモを開く。

「まず、能力の範囲は自分のいる地域にしか効果がない。俺の場合は東京全域が範囲内だ。つまり地球全体をベースにストーリーを書いても効果は東京でしか発生しない」

「そして、時間軸にも作用できるがこれは前後10年しか効果なし。10年より前の世界は変えられないから摂理を根本から変えることは不可能」

「さらに、ドラゴンやクトゥルフ等の架空の生物や、四次元ポケットとかのフィクションのアイテムは具現化不可能。あまりにも現実離れしたものは作れない」

「……うん、それなりに使えるけど、制約も大きい能力だな」

早口で纏めた思考を口から解き放つ。それと同時にキーボードを叩き、文字を入力していく。真っ白なメモの1ページはあっという間に文字で溢れかえった。

「んで、夢見男どうすっかな」

検証を終えた加賀の脳内には1つの懸念が残っていた。夢見男の受難を書き続けるか、それとも今の話で打ち切りにするか。いくら人死が出たからどれだけ被害が出ても変わらない考えの持ち主とはいえ、流石にテレビとかで流されると咎められてるようで後味が悪い。ただ──

「書き続けることが俺の存在意義だし、承認欲求を満たす唯一の方法だからなぁ」

加賀は書くことで自分を正当化し、存在を維持しようとしていた。それは夢見男を投稿する前も、した後も変わらない。つまらなかろうと、誰も見なかろうと書き続けるのはありふれた有象無象に堕ちることが怖かったからだ。そこに執筆者としてのプライドは無いし、大義もない。執筆に対するこだわりも、情熱も、何もかも。

「取り敢えず、書いてから考えるか。殺人鬼をのさばらせる訳にもいかないし、次の話で仕留めよう」

そうして加賀は再びキーボードに手を置いた。題名は「夢見男と殺人鬼」。夢見男と殺人鬼が戦い、殺人鬼を捕まえる話だ、と脳内で説明する。勿論、夢見男のモチーフは加賀である。

「俺が殺人鬼を倒す」

その目はいつになく輝いていた。

・・・



翌日の23:00。辺りを暗黒が包んでいる。バイト帰りの加賀は夢見男の受難の最新話の通りに大通りを抜け、裏路地を通り、人気の少ない一本道へと移動した。

後ろをつけるのは、般若面のナイフを持った男。加賀が気配に振り向く。

「……来たか」

加賀が般若面に向かってそう告げる。般若面は若干驚いた様子だが、すぐに元に戻る。

「……いつから気付いていた」

「最初からだよ、尾行下手だねー」

──よし、ここまで自分含めた一挙手一投足は夢見男と完全に一致している。

「あまりナメるな!」

般若面が怒鳴り声を上げて襲いかかってくる。ナイフを握りしめて襲いかかってくる様子は正に般若そのもの。大振りの斬撃をバックステップで躱し、道端に落ちている石を拾って鳩尾目掛けて投げつける。

「うぐっ……!」

石は狙った軌道通りに鳩尾にクリーンヒット。短い悲鳴を上げ、その場でよろめいた般若面だったが、すぐに体勢を立て直し突進。

「────ッ!!!」

加賀が回避に失敗し腹部を刺される。血がポタポタと地面に零れ落ち道を赤く染めていく。痛みを咬み殺すように下唇を噛む。

般若面が追撃するようにナイフを加賀の頭部めがけて振り下ろす。右に避けてカウンターを顔面に1発。男がよろめき、面を押さえる。

「痛てぇなぁ!」

「お返しだ」

非力とは言え、物語の主人公補正と同等のバフが掛かっている加賀の拳は強力だ。それを受けて、般若面に一瞬の隙が生まれる。

その隙を狙い、般若面の右脇腹に蹴りを入れる。般若面は痛みを堪えるような仕草を見せるが、直後に加賀の足を掴み、脛にナイフを突き刺す。

「痛った……」

思わず加賀の口から言葉が漏れ出る。足に痛みが走り続けるが、アドレナリンの出ている加賀にとってはノイズ程度にしかならない。すぐに足の自由を確保し、ナイフを抜き取って地面に叩きつける。

「勿体ないな、ナイフを捨てちまうのか」

般若面が煽りを含んだ口調で語りかけてくる。うるせえ、と一瞥し、連続して鳩尾に拳をぶつける。般若面が絶句し、その場でよろめいた時。

後ろから突如として現れたライトの光が加賀と般若面を照らす。光の後を辿ると、そこには自転車に乗った警察官がいた。

「お前ら何やって──」

言い終わる間もなく、般若面が逃走を開始する。若干困惑気味の警察官に対して加賀はこう告げる。

「俺が動き止めるのでアイツ捕まえてください」

「え? なんで──」

「アイツが近頃ニュースに出てる殺人犯です。ほら、現場に付箋残していくやつ」

「え?」

「いいからお願いします。ここで逃がせばまた被害が」

「わ、分かりました」

直後、加賀が般若面を目がけて走りだす。それに気付いた般若面がさらに速度を上げるも、両者の間の距離は変わらない。むしろ、縮まってきている。30m、20m、10m。徐々に般若面の速度が遅くなっていく。現場には荒い呼吸音のみ。

「……チッ。いつまでついてくるんだよ」

両者の距離がさらに縮まる。その距離約3m。恐らく飛び掛かれば般若面を下敷きにする形で拘束できるであろう距離。直後、加賀が男目がけて飛び掛かる。

「──ぐっ!?」

般若面が短い呻き声をあげる。上には50kgちょっとの全体重をかけて男を押しつぶすようにして加賀が乗っていた。男の腕を可動域の反対側に向かって動かし、動きを制御する。

「これで一段落したかな」

加賀がぼそりと呟いた。かくして、殺人事件騒動は一挙手一投足全てが物語通りに幕を閉じた。

・・・



「──で、帰り道で襲われたから応戦してたと」

無機質な壁に囲まれた部屋で警官に問われる。加賀は問いに対して素直に答えていく。

「はい。逃げるわけにもいかなかったので」

「……? あの足の速さなら逃げられましたよね?」

それはそうだが、あれは物語通りの筋書きで進むために身体能力が一時的に強化されていたためである。しかし、そんなことなんて言えるわけもなく、笑って誤魔化すしかないのだった。

「まあ、命に別条がなくてよかった。ご協力感謝します」

「いえ……」

そうして取調室の外へと案内される。取調室を出る前、加賀が警官に向かって問いかける。

「自分で書いたものが現実になってるって言われて信じます?」

「そんなことありえないだろう。信じられるわけがないじゃないか」

警官は怪訝そうな顔をして答えるのだった。


加賀が夕焼け空の下を歩く。全身を襲う筋肉痛を堪えながら呟く。

「全身痛ぇ……日頃から運動してないのがここで祟ったか……」

それにしても、殺人犯が捕まってよかったものだ。と内心安堵する。これで一安心だろうと思い、次の話を脳内で練ろうとしたとき。

──そんなことありえないだろう。信じられるわけがないじゃないか

先ほど警官に言われた言葉が脳内でこだまする。

「信じられないのは俺もだけど……事実だしなぁ」

そう、事実である。そうでなければあの時の身体能力の向上や事件の勃発すらありえないじゃないか、と考えながら帰路につくのだった。

◇◈◇◈◇



ディスプレイから発せられる光が贅肉のついた男の顔を照らす。油でてかてかと輝くその顔は無表情である。室内にはディスプレイから発せられる明かり以外の光源はついておらず、カーテンもしめきられていた。画面には「パラウォッチ」と題されたホームページが映っている。この暗黒の中、ゲーミングキーボード上に指を置いて文字を打ち込んでいく。

bloom mushroom 2018/08/17 3:17:41 #17634900


俺さ、あることに気付いたんだよね。

最近さ、変な付箋残してく殺人犯いたじゃん。義眼の児童が殺されたやつ。それがさあ、「カゲ」って人が連載してるネット小説の「夢見男の受難」ってやつの内容と酷似してんのよ。最新の3話の内容は「付箋残す殺人犯が会社員を殺す」、「義眼の児童が殺される」、「殺人犯が捕まる」ってやつなんだけど、作中に書かれてる日時とか事件の内容とか犯人逮捕のタイミングが似てるんよ。

まださ、殺人内容が似てるならまだ模倣犯の可能性があるじゃん。でもさ、捕まるタイミングが同じってなるとおかしくないか?って。

ここである仮説を立てたんよ。それはさ、「夢見男の受難」の内容が何らかの要因で現実に反映されてる、ってやつ。これについてパラウォッチユーザーの意見が欲しいからスレ立てた。

夢見男の受難の作品ページのリンクは下のやつ。実際に確認してみるとマジでおかしいってわかるから。

https://www.█████.com/yumemiotoko


ever plant 2018/08/17 3:20:22 #43585124


偶然じゃないか、といいたいところだけど逮捕されたのまで一致してるんだったらおかしいな。普通自首しないだろうし、ネットのニュースのページ見てると一般人に確保されて逮捕されたらしいし。

ここ居るといいろんな超常話に触れられるからわかるけど、世の中には原理や科学で説明できないのもあるからなぁ……。俺は仮説を支持するかな。


bloom mushroom 2018/08/17 3:24:15 #17634900


やっぱりそう思うよな。正直、内容はクソみたいにつまらないけどさ。これさ、疑似的な未来予知として使ったりできないかね。


ever plant 2018/08/17 3:26:37 #43585124


というと?神託者とか預言者としてクソほどつまらない作家気取りを持ち上げると?


bloom mushroom 2018/08/17 3:30:56 #17634900


そゆこと。まあ、暇つぶし程度にはなるかな、って。


「ほんとに面白いおもちゃが出てきたなぁ」

そう言い、男が伸びをし、席を立つ。向かった先は台所。夜食のカップ麺は何にしようかな、などと考えながら。

・・・


無機質な白い壁に覆われた部屋の中で、事務用のデスクトップパソコンに取り付けられたモニタから明かりが放たれる。画面には夢見男のパラウォッチスレッド。それを一字一句精査するように背の高い黒スーツの男が眺めていた。

「あとで研究班に聞いてみるか」

そう言って、スクリーンショットを撮ったうえで電源を落とす。コツコツ、という単調な音が白タイルの上を木霊していく。

・・・



加賀は驚いていた。

「なんで俺がニュースに出てるんだ?」

テレビには加賀の顔が映っていた。勿論、モザイクはかかっているものの、服や恰好から自分であることは容易に想像できる。肝心のニュースの内容は先日捕まえた般若面についてのものだった。

「警察しか俺が関わってたのは知らないはず……ホントに何で出てるんだ?」

その顔に表れた困惑は、すぐに合理的思考によって上書きされる。マスコミのことだから執拗に聞いて話させたんだろう、と考えた加賀はいつも通りにスマホの電源をつけてTwitterを見る。トレンドには般若面が捕まった、というものが上がっている。それを確認した加賀がトレンドをタップする。

読み込まれた画面には「捕まえた奴英雄じゃん」「これでおびえずに済むわ」などの投稿が溢れていた。

「なんか、Twitterで褒められるのって慣れないな」

そう呟き、少しスクロールした上でスマホの電源を落とす。時刻はAM 10:00。バイトが始まるのは10:45分からである。急いで菓子パンを口に含み、それをアイスコーヒーで流し込む。

「バイト行かねぇと」

そう言い、家を後にする。今から歩けば間に合う時間だ、などと考えながら道を歩いていく。







「ニュース載ってたのお前?」

バイト先のコンビ二のバックヤードで先輩アルバイターから声をかけられる。にやついた顔をしながら、スマホを持って加賀に近づく。

「いや……そうですけど、なんでそれを? テレビではモザイクかかってたはず……」

加賀が困惑した様子で答える。先輩はさらににやついて答える。

「いやー伊達に先輩やってるわけじゃないからさ、後輩のことなんてわかっちゃうんだよ」

「はぁ……そうですか」

「ところでさ、写真撮っていい? ツーショットで」

「はい? いやちょっと待ってくださ──」

直後、言い切らせずに先輩が加賀の隣に回り込んでスマホからシャッター音が鳴る。加賀は顔を手で隠したが、先輩によって手を払われてしまう。

「やめてくださいよ。そもそもどうするつもりですか」

「いやー、ネットに上げるとかじゃなくてさ、記念に一枚撮っとこうかとね。あ、もう一枚撮っていい?」

そう言い、もう一度シャッター音が鳴る。加賀は顔を隠そうとするが、手を先輩につかまれているため隠すことができない。かなり不満そうな顔をして内心「なんで俺がこんな目に合わないとならんのだ」と呟く。

・・・



「お兄さん、テレビ出てた人っすか?」

商品を補充していた時、不意に声をかけられる。加賀はびっくりした様子で受け答える。

「あえ、え、えっと。顔は出てないはずですよね?」

若干どもり気味に加賀が答えると、後ろに立っていた高身長の男はにやけながら続ける。

「そういうってことは本当にテレビ出てた人なんですね」

「ま、まあ……そうですけど。そ、それがどうしました?」

「いやー、すごいなぁって。お陰でおびえずに暮らせますよ」

「ありがとうございます……?」

「いえいえ、ありがとうと言うべきはこっちですよ。バイト、頑張って下さいね」

そう言い、男は冷蔵庫からペットボトルに入ったブラックコーヒーを取り出し、レジに向かう。しばらくの間、一人呆気にとられた様子で加賀は立ち尽くしていた。

「あ! 手止まってるじゃん!」

そう言い、ハッとした表情で商品の補充を再開する。その様子を、先ほどの男はしかと見つめていた。

・・・



「なんか色々あったな」

加賀が呟きながら帰路につく。今日は声かけられまくったな、と考え、角を右に曲がる。

「あ! さっきの店員さんじゃないですか!」

角を曲がった先──自宅のアパート前には先ほどコンビニで声をかけてきた長身の男が立っていた。

「え、あ、なんでまた?」

何故家の前に先ほどの男が立っている?、という疑問が加賀の表情と脳内を支配していく。その歪んだ表情を無視して男は続ける。

「まあ、気にせずに。ところで、どうやって犯人捕まえたんですか?」

「え、いや。気にせずに、って」

「教えてくださいよ。気になって夜も眠れないです」

「えーっと。ナイフ持ってたから石投げたり刺されたから叩いたりして応戦して……そうしてるうちに警察が来て、犯人が逃げたから走って追いかけて捕まえて……」

「へぇ! すごいですね。こんな細い腕と足で捕まえられるもんなんですか」

「……煽ってます?」

「いえいえ、煽ってるわけではないですよ。ただ──」

「ただ?」

「なんかやってたのかな、って。筋トレとか、運動とか──これは現実離れしてるかもですけど、物語を書いてそれの通りに動いてたりとか」

加賀の表情が歪む。それを男は見逃さなかった。直後、男が手で加賀の後方にサインを送る。

「なんで知っ──」

言わせる間もなく、加賀の口を後ろから忍び寄った黒服がハンカチで抑える。抵抗するも、物語で強化されていない加賀との力の差は歴然だった。そして十秒もしないうちに、加賀の意識が飛んでいく。

視界が暗黒に包まれる中、最後に加賀の目に映ったのは、笑い続けている男の顔だった。

◇◈◇◈◇



「……ん」

無機質な壁に囲まれた室内で加賀が目覚める。朧気な意識の中、自分が椅子に座っていることを確認し、立ち上がろうとするが、異様な感覚がそれを阻止する。

「……?」

感覚を頼りに、両手足に意識を向ける。

「なんだこれ……枷?」

両手足には金属製の枷が取り付けられていた。何故枷が付いているのか、という疑問が浮かぶが、それは部屋の隅に取り付けられたスピーカーから発せられた音声によって相殺される。

「おはよう。加賀 源──いや、SCP-████-JP。調子はどうだい?」

「あ──誰だ? ここはどこだ? 何で俺はここにいる?」

「誰かは後々わかるとして、本当になんでここにいるのかわからないのかい?」

「わかるわけ──」

直後、脳内に記憶があふれ出す。バイトから帰ってくるときに男に会って、話して、後ろからハンカチを押さえつけられて。前後の状況から推測するに恐らく拉致されたのだろう。じゃなければこの状況の説明がつかない。

「お前ら──ここがどこか分からないが、俺を拉致したのか?」

「まあ、状況的にはそうなるね。ただ、世界のためにも、君のためにもそうするしかなかったということだけは理解してほしい」

「は? 拉致しといてそれはどういうことだよ。そもそも、何で人の役に立つことをしたのに俺がこんな目に遭わなければならないんだよ」

「君が本当に人の役に立つことをしたと? 面白い考えだな」

「あ? それはどういう──」

「君、因果律改変で二人殺してるね?」

「因果律改変? なんだそれ」

「あー、説明してなかったね。まあ、とりあえずさ。君の身近でおかしなことが起きただろ?」

「……なんでそれを知っている? 誰にも言ってないはずだが」

「君のクリアランスレベルでそれを知ることはできないよ。まあ、それは置いておいて、君は人を二人殺した。それに、世界の摂理を書き換えかねないこともした。そして、それを一人芝居で解決したように偽装した」

「なんだよそれ。ひどい言い方だな」

「まあ、認めないにしても事実だから。君が二人殺したことに変わりはない。そして──」

「そして?」

「君が行った因果律改変さ、出版されてる小説の内容をつぎはぎしたものだよね。そんなことして、底辺なりにも作家としてのプライドはないのかい?」

「パクッてねぇよ。真似しただけだ。それにあの話はオリジナルの要素だって含んでる」

「付箋のことかい? 伏線として敷いたにも関わらず、それを全く生かしきれなかったし、伏線の回収すらもできなかったやつを?」

「何が言いたい」

「作品を描き切る気力も、実力も何もない。ましてや、要素の管理やオリジナルのアイデアも考えられない君は作家じゃない」

「クソが。俺は作家だ。そこらに転がってる書けない有象無象とは違う。俺は書ける」

「そう言ってるといいよ。──そうだ、ここのことについて教えてなかったね」

「ここのこと?」

怪訝そうな顔で加賀が言う。

「ここは"財団"。君みたいな特異な存在を管理したり研究してる機関さ。あと、もう一つ言っておくと、君の異常性は強力だからね。もう外に出ることはできないと思った方がいいよ」

「ふざけんな──そもそも、拉致されたんだ。家族やバイト先の人たちとかが気付いて通報するだろ」

「無駄だよ。君の関係者の記憶をいじったから、君は死んだことになってる。今頃偽装死体でも見て皆悲しんでるだろうね」

「性根腐ってんな、お前ら」

「いやー、僕たちは意味もなく人を殺したりしないからね。快楽や承認欲求のままに人を殺す人間オブジェクトに言われたくはないよ」

「……」

俺は、快楽や承認欲求のままに人を殺すようなくずじゃない、と自分に言い聞かせながら、スピーカーの音をとらえる。そんな様子などつゆも知らずに声の主は告げる。

「そうだ、一旦拘束解くから制服に着替えてもらうよ。勿論、変な行動したら射殺するからね」

そう言い、目の前の扉が無機質な音を立てて開く。そこには、銃を持った二人の黒服と、もう一人──アパート前で声をかけてきた男が立っていた。男はオレンジ色のツナギを持っていた。

「──てめぇ!」

男の顔を見るや否や、加賀が殴りかかろうと飛びつく。しかし、その試みは黒服によって遮られてしまう。男は相も変わらず笑っていた。

「元気かい? だますような真似してごめんねぇ」

「ふざけんなよ……!」

「まあ、そうカリカリしないで。これに着替えてくれるかな?」

そう言い、男はオレンジのツナギを手渡す。胸のところにSCP-████-JPと書かれたそれはまるで海外の囚人服のようである。それを見た加賀の頭に浮かんだ疑問を男にぶつける。

「これは?」

「あーこれ? 財団ウチの制服の一つさ。これはDクラス──元死刑囚の実験台とか、君みたいな人型のオブジェクトに支給されているものだね」

「元死刑囚……」

「うん。大体が殺人を犯してるから実験の時は気を付けてね」

「マジかよ……」

「うん、マジ。……とりあえずさ、着替えてくれる?」

そう言った後、男が黒服にハンドサインを送る。直後、黒服は銃の照準を加賀に向ける。

──どうやら俺に拒否権はないようだな。

直感で理解し、ゴワゴワとした肌触りのダサいオレンジ色の制服に身を包む。

「おー、様になってるね。君にはこれくらいの服装がぴったりなんじゃないかな?」

「……」

ぎろりとした目つきで男を睨みつける。男の表情は崩れていない。男は少しにやついて加賀に告げる。

「ささ、ついてきてよ。君の収容房に案内するから」

当然のごとく逆らえるわけなく、加賀は男についていくのだった。

・・・



真っ白なタイルの張られた廊下を歩く。コツコツという音が鳴り響くすぐそば──強化ガラスの真横では白衣に身を包んだ人々が何かを呟きながらパソコンの画面に向かっていた。

「……なあ。あの──研究員たち? は何やってるんだ?」

加賀が男に向かって問いかける。男は正面を向いたまま振り返ることなく返す。

「見て分からないかい?」

「研究してる、ってことはわかる。ただ──研究してるものは俺みたいにおかしなものなのか?」

「そうだよ。ウチでは自然の摂理に反してるモノを研究して収容してるからね」

「あと、もう一つ聞いてもいいか?」

「なんだい?」

加賀はガラスの向こう。鳥頭の研究員を指さして言う。

「あの鳥頭も俺と同じ、……オブジェクト、ってやつなのか?」

「まあ、そうなるね。彼は特に危険性もなかったからウチで雇用してるんだ。自由は制限されてるけどね。他にもそんな奴らはたくさんいるよ」

「俺は雇用されることはあるのか?」

「多分だけどないね。君の異常性は危険すぎる。君みたいなオブジェクトは食事の自由とかある程度の娯楽は認められても、一生自由を得ることはできないと思うな」

「……そうか」

再び足を動かす。無機質な足音が反響するだけの道を歩いて数分、宿舎のような場所に到着する。普通の宿舎と違うところは、部屋が独房──正確には牢屋のようなものであるというところだ。

「君は──ここだね」

「3152」と部屋番号の振られた部屋に通される。直後、後ろからガチャン、という鍵の掛かる音が響く。

「ま、今日は実験とかは無いからさ。リラックスしててよ。ベッドで横になってても良いし。……ただ、変な気は起こさないでよ? すぐに制圧部隊が君を制圧しに向かうから」

そう言って男──どうやら加賀の担当チームのエージェントは宿舎を後にした。ようやく実感が沸いたのか、呆気に取られたような表情を浮かべたまま、加賀が呟く。

「マジでやばい事になったな……」

部屋の中にはベッドと本棚が1つずつに、デスクが2つ。内1つには何らかの冊子が置かれている。奥の方には個室トイレ。あとは──部屋の四隅に、死角を生まないように配置された監視カメラ。流石にトイレの中には無かったが、基本的に行動は制限されてしまう。室内には筆記用具やノート──冊子を除いた雑紙すらない。なるほど、俺の異常性はバレていると、と内心呟いて冊子を取る。

「収容に当たっての注意点」と題打たれた冊子を開く。中には「ある程度の自由の許可」についての注意点や「食事の種類」──要するにパンか米か、についての説明が書かれていた。一般的な入院に関する注意書きのようなものであったが、一点だけ普通では無いものが書かれていた。

「逸脱した収容方針の違反を行った場合、武力行使による鎮圧を行う。状況によっては対象の処分に至る可能性もある……」

書かれていた内容を音読する。武力行使……最悪処分、というあからさまに行動を恐怖心で制御するための文言にも見えるが、非現実的な状況に置かれた加賀にとってはそれらを信じ込む土台が出来ていた。

「処分か……死にたくはねぇな……」

そう呟いてベッドへ向かう。リゾートホテルの新品のベッドのような固くゴワゴワした布団に嫌悪感を覚えながら、眠りにつくのだった。

・・・



「起きろ、SCP-████-JP。朝食の時間だ」

加賀はスピーカーから流される機械音声で目を覚ました。目の前には、プラスチック性のスプーンのつけられた朝食──ペースト状の茶色い何かと、仄かに黄色いスープにコッペパン。そしてサプリメントのような何かが盆に乗せられた状態で置かれていた。

「何だこれ、ホントに食い物か?」

そう言い、スプーンで茶色いペーストをすくい口に運ぶ。味がしない──あるいは極端に薄いことを確認し、スープに口を付ける。これも味がしない。そう思ってコッペパンを齧る。

「味がするのはコッペパンだけか……」

そう呟き、さらにペーストを口に運び、スープを啜る。味がしない苦痛をコッペパンの仄かな甘みと共に飲み込んでいく。吐き気を覚えるが、備え付けの水道の水で胃酸を流し込む。

「あとはサプリだけだが……これは飲んでいいものなのか?」

加賀の脳内には複数の可能性が渦巻いていた。自白剤、認識を歪める薬、睡眠薬……。しかし、飲まなかった場合何をされるか分からない、という恐怖心に抗えず、加賀は思い切りサプリを口内に放り込み、水道水で流し込む。

「……ふぅ、味がしないだけでここまで苦痛とは……」

思わず呟く。今後もこんな料理だけが続くのか、と考えると気が滅入ってしまうため、加賀は考えることを止めた。


・・・


「実験のため、移送を行う」

黒服がトランシーバーに向けて呟く。食事から2時間後、加賀は実験のために拘束された状態で車に乗せられていた。目隠しをされ、聞こえるのはエンジン音と微かな話し声のみ。その話し声ですら、エンジン音にかき消されてろくに聞こえない。

大体15分ほど経った頃だろうか。加賀が車から下ろされる。目隠しを外され、隔離されているような施設内部を歩いていく。少し歩いた先にある扉が開くと、そこには自分と同じような服装をした男が2人、拘束された状態で椅子に座っていた。

目の前にはノートパソコン──それも家にあったものが置かれていた。何故自分のがこんな所にあるのか?という疑問を抱くが、先日の男の声によってかき消される。

「じゃあ早速──SCP-████-JPはノートパソコンで今から言う物語を書いてくれ。"目の前のオレンジ色のツナギを着た男が自殺する"内容の話を書くように。無論、拒否したり命令に従わなければこちらは武力に頼る」

目の前で自殺を見ろって言うのか?と内心叫ぶも、逆らえない。逆らったら殺される、という恐怖心が加賀の思考を支配する。

「おい待てよハカセ! 死ぬなんて聞いてねぇぞ!」

オレンジのツナギを着た男が叫ぶ。しかし、博士と呼ばれる男はそれに答えない。

「なあ、SCなんたらって呼ばれてるそこの兄ちゃんもよぉ、そんなこと出来るわけないよな?! な?」

男が必死に訴える。本当は書きたくない、死ぬのを直接見たくない、と思いながらも、手はキーボードを叩いていた。

「ごめんなさい……」

嗚咽混じりに加賀が呟く。男が絶叫し、失禁しているが手は止まらない。従わなければどっちも殺されてしまう、という恐怖によるコントロールは単純だが恐ろしい程に効くことを身をもって体験した。

「やめてくれよ! なあ──」

言い切る間もなく男の腕が膨れ上がり、拘束を解く。膨れ上がったその腕は筋繊維がむき出しになっており、血が流れ出ていた。男は苦痛の表情を浮かべるが、誰も助けに行こうとはしていない。直後、男は鳩尾に自らの手刀を突き刺す。パン、という袋が弾けたような軽快な音がなり、男はその場に倒れ込んだ。床には血が滲み、真っ赤な池を作り出している。おそらく心臓を裂いたのだろう、と思った刹那、加賀の胃袋が収縮する。

えもいえぬ吐き気に襲われ、胃液ごと先程食べたものを吐き出す。床が吐瀉物によって汚されていくのをよそ目に、白衣の人達はバインダーに向かってメモを取っていた。

加賀の胃の中が空っぽになった頃、再びノイズ混じりにスピーカーから声が発せられる。

「では、次は先程と同じ内容の物語を別のノートパソコンで書いてくれ。まだ私たちは君に異常性があるのか、ノートパソコンに異常性があるのか決めかねているからな」

嘘言うな、ならなんで部屋に筆記用具が無いのだ。と呟くが、その呟きは強化ガラスに遮されて届かない。しかし、当然逆らえる訳もなく、ノートパソコンに打ち込むのだった。

もう1人の男は何も言わなかった。何も言わずに目玉の奥まで手を突っ込んで死んでいった。胃液だけが喉を通って出てくる。酸い香りが口の中を支配していき、脳内を罪悪感が満たしていく。

「では次に──」

加賀は立ち上がれなかった。その様子を見た研究員共によって、実験中止の放送がなされる。理由は対象の精神状態の著しい悪化の為らしい。クソが、と内心吐き捨てて再び車に乗り込んだ。

・・・



それからは毎日同じような生活が続いた。味のしないペーストとスープを口に運び、実験で人が死ぬ様や非現実感をひしひしと感じて食べたものを戻すだけの日々。時折カウンセリングなんかもあったが、そんなもので心の靄が晴れることはなかった。

時折、加賀は自傷行為を行っていた。人を殺した罪悪感から逃れるため、強迫観念に取りつかれた状態でリストカットをしていく。そうするとすぐさま医療班が飛んできて治療を行い帰っていく。ベッドの歪んだフレームにはべっとりと血が染みついていたが、誰もそれを取り換えようとはしない。その代わり、頻繁に薬が出されるようになっただけだった。

いつしか、加賀は心が壊れたかのようになってしまった。その様はまさに廃人というものである。目には輝きは無いし、食事もペーストとコッペパンを一口、口に入れただけで済ませてしまう。それ以外は部屋の隅で何かをぶつぶつ呟いてるのみだった。人を自らの異常性で殺しても吐くことはなくなり、実験は大いに進行したと研究者たちは喜んでいた。







「SCP-████-JP。時間だ、出てこい」

黒服が空の室内に向かって告げる。大体10分ほどして加賀がトイレの個室から出てくる。その目にはかすかながら光があった。そのままいつも通りに無機質な廊下を歩いていき、エレベーターに乗り込む。

「なあ、黒服」

加賀が口を開く。口を慎め、と言わんばかりに黒服が銃口を構えるが、加賀は続ける。

書けないやつになり下がるのっていやだよな」

「何を言っている? いいから口を慎め」

「自分より下だと思ってるものになるのは誰しもいやなもんだ──俺だってそうだ。だが、今は俺は人権もないような生活を強いられている。俺は嫌な、人間じゃないものになり下がったんだ」

「だから口を慎めと──」

「なあ、おかしな点に気付かないか? なんで俺の小指の爪が剥がれている?」

「まさか──お前!」

「もう遅い。俺の異常性は発動してる」

黒服が銃を撃つ前に飛び掛かる。顔に牙を立て、一気に引きちぎった。エレベーターの中に男の悲鳴が木霊する。そのすきを狙って、加賀は男の手から銃をくすねる。

「──ッ! てめぇ!」

「もう遅い。俺は帰るぞ」

銃声が鳴り響く。銃口の先には脳漿と血液を頭からぶちまけた来る服の死体が転がっていた。

直後、エレベーターの扉が開く。扉の向こうには白衣を着た大勢の研究員が行きかっていた。そして、その視線はエレベーターの中へと吸い寄せられていく。

「あれは……SCP-████-JP? 横の死体は──まさか機動部隊か?」

白衣に身を包んだ男が呟く。直後、研究員たちの脳内に共通の思考がよぎる。

──収容違反だ。

「おい! 誰でもいから保安フィードに連絡──」

言い終える前に銃弾を心臓にねじ込む。直後に白衣を着ている中肉の男が地面に倒れ込む。辺りには甲高い悲鳴が響き渡る。直後、真横から銃弾が飛んでくる。研究員どもが護身用に持っている銃なだけあって、ステータスはお粗末だ。そう判断した加賀はサイドステップで銃弾を回避し、すかさず銃を連射する。弾道制御なんて銃を扱ったことのない加賀の脳内にあるはずもなく、弧を描くような銃痕が壁にできていく。

その過程で研究者数人を巻き込んでいく。巻き込まれた研究者どもは即座にその場に倒れ込む。床を鮮血が染め上げ、辺りを爆音の銃声が包み込む。

「今まで散々閉じ込めやがって!」

叫び、更に銃弾をぶち込み続ける。この調子だともうそろそろだな、と思いながら更に研究員を殺していく。

「──ッ!」

直後、背後から突き刺すような殺気を感じ取って振り返る。そこには4、5人の防弾チョッキらしき装備とサブマシンガンを構えた黒服の男と、その奥に1人、強化腕パワードアームを装備した軍服が立っている。

「……これはSCP-████-JP──お前がやったのか?」

軍服が加賀に向かって問いかける。加賀は煽り全開の満面の笑みで答える。

「そうだ。俺がやった。どうだ?大切なものが奪われる気分は」

「お前、こんなことしてただで済むと思ってるのか?」

「もちろん、ただで済むとは思ってない。でもな、俺の大切なもの人生を奪ったことに対する怒りはこれぐらいじゃ収まらないぞ?」

「お前、世の中が自分中心になってると思ってるのか? お前好き勝手し過ぎだとは思わないか?」

「俺は"お前"でも"SCP-████-JP"でもない! 俺には──加賀 源っていう名前がある!」

そう言い、銃を乱射する。壁が、天井が、死体がぐちゃぐちゃに壊されていく。銃声だけがあたりに響き渡る。軍服を除く黒服が飛び掛かって来るが、右の裏拳を顔面に一撃。物語に従う為に身体能力を無理やり強化しているとはいえ、その力はGOCのブラックスーツに匹敵するほどだろう。軍服がそう考える。

「クソ──」

飛び掛かってきた黒服の眉間に一発。絶命したことを確認して装備をくすねる。奪った装備は短剣ダガーとサブマシンガン。この相手ならまだ戦える時間はある、と判断し、戦いに臨む。

「SCP-████-JPは何らかの媒体に物語を書いている可能性がある。気を付けろ」

軍服が周りの黒服に警告する。


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