脳内診断

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ふと目が覚めると、見知らぬ部屋の中にいた。

ここに至るまでの記憶の大部分が失われている。自分の名前も、年齢も、ここがどこなのかも、なんでこうなったのかも、全くもって分からない。

急いで身の回りのことを確認する。自分はベッドの上に横たわっていて、部屋の中に明かりはない。薄暗い部屋だということが分かった。部屋には窓はなく、扉も外から鍵が掛けられている。外界と接続している部分は天井にある換気扇だけだということが分かった。空調の音が耳に入ってくる中、私はただ呆然と、部屋の一点を見つめていた。

部屋に備え付けられているテーブル、その上にあるノートパソコン。そこから発せられている淡い光に、走光性を持つ羽虫のように惹かれていた。気が付いたらベッドから出て、そちらへと足を動かしていた。そっと、パソコンの画面を覗き込む。

画面上には「自己問答のすゝめ」というウェブサイトが表示されていた。ウェブサイトは簡素な作りであり、対話相手となるであろうチャットボットのアイコン、メッセージのやりとりをするであろうチャット画面しか存在していない。試しに、私は適当な単語をチャット画面に打ち込み、送信した。

しかしながら、何を打ち込んでも帰ってくるのは「返信不可」というメッセージだけ。どうしたものかと悩んでいると、床に一枚の紙が落ちていることに気付いた。この紙にもしかしたら自分に関する情報や、もしくは「自己問答のすゝめ」のヒントが書かれているかもしれないと思いながら、紙を拾い上げ、その表面を見てみた。

そこには「おかえりなさい 加藤螺良」という文字が書かれているだけだ。

意味が分からなかった。何故、おかえりなさいなのだろうか。そもそも、加藤螺良とは誰なのだろうか。何も分からず、混乱のあまり頭がショートしそうになる。ただその一方で「これを『自己問答のすゝめ』に打ち込むのはどうだろうか」という疑念が渦巻いていた。

入力を目的として、キーボードに両手を載せて、指を動かした。


問: おかえりなさい
答: よく帰ってきてくれましたね。

問: 加藤螺良
答: わたしの製作者です。他に質問として「自分の好きな食べ物」や「自分の趣味」などを聞いてみるのはいかがでしょうか。

問: 自分の好きな食べ物
答: それはチョコレートです。バレンタインの日、螺良が作って手渡したチョコレートをあなたは美味しそうに食べていましたから。覚えていないかもしれませんが、大丈夫です。わたしと一緒にあなたの記憶を見つけていきましょう。

問: 自分の趣味
答: 裁縫です。螺良と一緒にぬいぐるみを作ったり、ハンカチを作ったりしましたね。この辺りも忘れているのかもしれません。でしたら、「失くした記憶」と入力してください。

問: 失くした記憶
答: あなたは「重大なショック」を受けたために、記憶を喪失してしまいました。ですが、こうしてわたしとの問いかけを通じて記憶の欠片を拾い集めていくことにより、記憶を回復させることができるとされています。例として、「初デートっていつだっけ」や「楽しかった思い出」と入力してみてください。

問: 重大なショック
答: それを知ることは再度記憶を喪失することに繋がります。ですが、ヒントなら与えることができます。ヒントが必要でしたら「ヒント1」と入力してください。

問: ヒント1
答: あなたは螺良から逃げようとしました。

問: 初デートっていつだっけ
答: 2007/01/19です。遊園地に行き、ジェットコースターなどのアトラクションに乗りました。その日の夜、螺良は“思いが届いたのだ”とひどく喜んだそうです。

問: 楽しかった思い出
答: あなたの楽しかった思い出は、螺良とのクリスマスデートでの一幕です。詳しく知りたければ「クリスマスデート」と打ち込んでください。また、類似の質問として「幸せだった思い出」や「悲しかった思い出」を入力してください。

問: クリスマスデート
答: あの日、あなたは螺良に告白し、結婚を誓いました。そうして渡した「銀の指輪」はあなたにとっても螺良にとっても大切な「宝物」です。

問: 銀の指輪
答: 螺良とあなたをあの幸せの絶頂へと結びつける、唯一のものです。

問: 宝物
答: 今のところは銀の指輪しかありません。本来だったら生まれてくるはずだった子供はわたしの体質のせいで生まれてこなかったし、築き上げる予定だった幸せな家庭も、集める予定だった素敵な思い出のひとつもありません。でも、これからまた作り上げればいいと思っています。

問: 幸せだった思い出
答: 螺良との結婚式です。あの日、あなたと螺良は幸せの絶頂に居ました。ですが、その後二人の幸せは徐々に失われていくことになってしまいます。

問: 悲しかった思い出
答: 螺良とあなたの結婚生活すべてです。螺良はあなたを引き留めようとしたのに、あなたはそれを拒み、逃げようとするばかりだった。螺良にも行き過ぎたところはあったかもしれないが、あなたは相手の気持ちを考えずにただ否定するばかりだった。これのせいで「最悪の出来事」への日数は近づいたし、そのせいで螺良も「とっておき」を使うしかなかった。

問: 最悪の出来事
答: あなたが記憶を失い、ここに来ることになった直接の原因です。知りたければ「自分の行い」や「やってしまったこと」などと入力してください。

問: 自分の行い
答: あなたは螺良から逃げた。彼女の愛は歪んでいて、自分の自由を侵害しているとして逃げた。あれは、明らかに誤った行いだ。

問: やってしまったこと
答: 何も言わずに、わたしから離れて、「他の人」に身元を匿ってもらっていたこと。

問: 他の人
答: 命だけはあります。

問: とっておき
答: 螺良にはいくつもの“とっておき”があります。ヒントが欲しければ、「ヒント2」と打ち込んでください。

問: ヒント2
答: あなたはここに来る前にいくつかの「フラクタル画像」を見せられた。

問: フラクタル画像
答: これに関する詳細な情報を伝えることはできません。代わりに「螺良の夢」や「あなたの目的」などを質問してみるのはいかがでしょうか?

問: 螺良の夢
答: あなたと一緒になること。「愛」を貰うこと。

問: 愛
答: あなたも螺良も求めている、人の心と心をつなぎ合わせるのに必要なもの。

問: あなたの目標
答: これまでの行いを反省し、螺良と一緒になること。大人しくなり、あなたのことを忘れないようにすること。類似の質問として「一緒になるとは?」や「どうすれば一緒になれる?」があります。

問: 一緒になるとは?
答: 螺良に身を任せてください。「彼女が持つそれ」はあなたの肉を裂き、一生の糧とするでしょう。

問: 彼女が持つそれ
答: 鋭利な刃物、もしくは生態上欠かせない器官。

問: どうすれば一緒になれる?
答: 一緒になることを覚悟したのですね。では、服を脱ぎ、そこにあるバリカンで毛髪を反り上げ、ベッドの上で寝てお待ちください。待てない場合は「呼ぶ」と入力してください。

問: 呼ぶ
答: 螺良を呼びました。







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一通りの質問を終えた後、部屋の外からひたひたという足音が聞こえてきた。そして、何があったのかを理解した。そうだ、私はあいつから、人の皮を被ったあいつから逃げようとしていて。それで、気が付いたら。

「みっくんありがとうねぇ」

遠くからそんな、やや間延びした調子の声が聞こえてくる。そうしてドアが開いて──





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