歴史は単なるゴシップにすぎない。
History is merely gossip.
オスカー・ワイルド, ウィンダミア夫人の扇
Oscar Wilde, Lady Windermere's Fan
イントロダクション
─ Introduction ─
今日知られている歴史、それが真実を隠す偽りの歴史 カバー・ストーリーだとしたら?
超常的な現象、常識外の存在。それらが歴史に深く関わっていたことが世間に流布してしまったら?
財団は「歴史」を書き換える。
作品一覧
─ List of works related to the "Hidden history" ─
SCP-JP
SCP-001-JP
第〇〇〇八番
大八嶋(蒐集物覚書帳目録第〇〇〇八番)
本文書の閲覧は財団O5評議会会員及び第八一管区支部理事会理事、並びに特別に許可された人員に限定されます。
少なくとも 乎富等大王をほどのおおきみを大王に迎える際使われたことが知られる。それ以前にも先の諸大王が、十六柱の"大八嶋"とその儀式によって世を統べたと伝えられている。一説には最初の大王が大王となったのは大八嶋によるものであり、四方を征して斎蔵を設立したのは、これらの異物を収めるためであったともいう。
著者: Mishary
SCP-001-JP
我々
オブジェクトクラス: SC-Relinquished
SCP-001-JPは、異常性を持った自然環境と社会環境からなる大規模異常複合体(large-scale anomaly complex)であり、他のヒト(Homo sapiens)コミュニティと同様の社会を構築しています。これに加え、SCP-001-JPは基底現実に浸透しており、一部の独立性の高い社会を除いて人類社会の大半がSCP-001-JPとの関係を持っています。一方で、SCP-001-JPの異常性は一般に明らかになっていません。
著者: hitsujikaip
SCP-001-JP
CONTAINMENT CLASS:
ESOTERIC
SECONDARY CLASS:
THAUMIEL
SCP-TBDは大日本帝国の沿岸部で確認されているレベルⅡ耐破壊性です。SCP-TBDは後述するSCP-TBD-Aを中心として半径500mまで広がっており、自然的要因や空爆に対して微弱な耐性を有しています。またこの耐性は影響範囲上に存在する人工物、植物、生物にも適用されています。
著者: CAT EYES
肉叢の皇
オブジェクトクラス: Keter
SCP-1420-JPは、異常な生物学的性質を持つ敵対的な日本人男性です。蒐集院から引き継がれた資料によればSCP-1420-JPは"花山法皇"本人であるとされています。
著者: Mitan
龍は死なず

オブジェクトクラス: Keter
SCP-1942-JPはアメリカ合衆国領のミッドウェー諸島付近を自律して潜航する船舶です。アメリカ海軍、財団本部、及び蒐集院の資料によると、SCP-1942-JPは1942年6月6日のミッドウェー海戦において沈没した旧大日本帝国海軍の航空母艦「飛龍」そのものとされています。
著者: RainyRaven
ライズ
オブジェクトクラス: Neutralized
SCP-2500-JPは史実上"いろは丸"として知られる船舶に搭載された機材です。この機材は"いろは丸"の船底に存在する隠し扉によって隠匿されています。
SCP-2500-JP-Aは史実上"坂本龍馬"として知られる人型実体です。SCP-2500-JPの実質的な所有者であり、現在は財団に合流している正常維持機関"九十九機関(九十九商会)"の前進団体"海援隊"の創設者です。
著者: indonootoko
Tale-JP
GoIフォーマット-JP
「蕃神」
(蒐集物覚書帳目録第〇〇二五番)
百済の聖明王より釈迦仏なる金銅像一体、その装飾具、関連の書物数巻が欽明帝に贈られる。金剛像は髪の丸く耳の長き甚だ珍奇な相貌、未だ曾て有らぬ容姿であり、"蕃神"を象りし物と伝わっている。
著者: shirasutaro-
世界観
─ View of the world ─
「隠された歴史」は、現実における歴史上の人物や出来事もしくはそれらに深く関わる物品などがSCPオブジェクトとして存在し、それらに関する歴史が財団によって改竄された世界を描くものです。
かつての日本には、超常存在を蒐集し管理する組織「蒐集院」が存在し、長きに渡ってこの国の正常性を裏側から支え続けました。1945年の蒐集院の解散後も、彼らが蒐集した物品や理念は蒐集院の後継となる財団日本支部へと引き継がれました。
蒐集院から引き継いだ資料や物品の調査の結果、これまで日本が歩んできた数千年の歴史の内に、異常存在の関与を示唆する事件や物品が数多く確認されました。財団はそのような事実が明るみに出ることを避けるべく、歴史の隠蔽や改竄に着手することになったのです。
財団はそうした膨大な歴史の隠蔽と改竄を担います。彼らは真実の歴史を覆い隠すために虚偽の証拠を作り上げ、不都合な歴史的発見を非異常かつ現実的なカバーストーリーに置き換えるエキスパートです。
年表
─ Chronological table ─
「隠された歴史」における過去の出来事を年表にまとめたものです。これらの歴史の多くは蒐集院や財団によって隠蔽され、現代においてその全貌を知るものは財団や要注意団体の一部の者に限られます。
実際の歴史がそうであるように、年表中のイベントは矛盾するべきではないでしょう。
古墳時代 | |
3世紀中葉 |
ヒト亜種の異常性を潜在化させる潜異化政策が本格化する。ミマキイリヒコが、同母兄妹の関係にあるミマキヒメを娶る。この事項は記紀においては従姉妹婚とされる |
3世紀末 |
『三国志』中の「魏書」に日本列島のダエーワの情報が記録される |
4世紀後半 |
ダエーワ・高句麗戦争が起こる。オキナガタラシヒメが介入に消極的な仲哀天皇を殺害し、ヤマト政権はダエーワおよび辰韓の沙啄部の側で朝鮮半島に介入する |
512年 |
ダエーワ・高句麗戦争の結果朝鮮半島南部の地域(瓦灘川流域、栄山江流域、海南半島)に成立した上哆唎、下哆唎、裟陀、牟婁の四県を百済が併呑する |
527年 |
ヤマト政権軍による朝鮮半島南部への進軍を築紫君磐井が妨害する目的で挙兵(磐井の乱)。"大嶋"の一つである"筑紫"の所有が確認される |
538年 | 百済の聖明王から"蕃神"を象ったとする金銅像、装飾具、関連の書物数巻が帝(欽明天皇)に贈られる |
569年 | 山城や筑紫を始めとして国中に疫病が発生 |
583年 |
淡道の岩屋浦絵島で発見された神像が未知の"大八嶋"の一つであることを厩戸王が見抜く。厩戸王によって" 水蛭子ひるこ "と命名される。 |
584年 |
百済の鹿深臣より"蕃神"の一種とされる「弥勒」という石像が齎される。これにより蘇我馬子宿禰が"蕃神"の法の再興を試みる |
585年 | 再び疫病が流行し、蘇我馬子宿禰も罹患 |
587年 |
蘇我大臣馬子が物部氏との戦(丁未の乱)に際し"小嶋"儀式を執り行わせる。儀式に際して"水嶋"の使用も提言されたが、厩戸王の反対によって実行されなかった 丁未の乱により蘇我大臣馬子が物部大連守屋を滅ぼす。呪術部が解体され、斎蔵と統合される形で"蒐集院"が組織される 物部方の所有していた"大八嶋"が蒐集院に蒐集される |
飛鳥時代 | |
595年 |
淡道で香木が発見されたとの報告を受け、厩戸王が蒐集。香木は一柱の"水嶋"であると判明し、厩戸王によって" 淡島あはしま"と命名しされる。前回の儀式によって離散した"大嶋"・"小嶋"の再捕捉が進行する |
607年 |
小野妹子が遣隋使の一員として隋を訪れ、OBJ-392株と種子を隋から日本に移す |
620年 |
厩戸王、蘇我大臣馬子により国記が編纂される。同時に、"大八嶋"・儀式等の蒐集物に関する大規模な文書記録が作成される |
622年 |
厩戸王が急死。蒐集品は蘇我と山背王が分割して所有することとなる |
643年 |
蘇我大臣入鹿が諸王と共謀し山背王を自害させる。蘇我大臣入鹿は上宮王家の蒐集品の多くを強奪、蒐集院に蒐集させる。これにより蒐集院は"大八嶋"のうち十一柱を占有した |
645年 |
儀式の実行を計画していた蘇我大臣入鹿が殺害される(乙巳の変/大化の改新)。毛人の自害により蘇我宗家は滅亡する。蒐集院蒐集物の多くが焼失・紛失・強奪され、"大八嶋"の過半が大王家の管理下におかれた。蒐集院は弱体化したものの大王のもとで依然存続する |
651年 |
中大兄皇子によって白雉督責が進められ、朝廷の超常政策に反対する者が粛清される |
655年 |
東弊組や東弊重工の前身である東の幣奉(あずまのぬさまつり)が三輪山・箸墓古墳間の現実整流機構を完成させる |
660年 |
酒船石の現実回路が完成する |
663年 |
朝鮮半島の白村江で倭国(日本)・百済遺民の連合軍と唐・新羅連合軍が武力衝突する(白村江の戦い)。戦闘において倭国・百済遺民連合軍は大打撃を受ける。中大兄王(天智天皇)は唐による倭国侵攻を恐れ、各地から山城の建設を装って大八嶋を蒐集し儀式を試みる |
672年 |
天智天皇が崩御。前回の儀式の後に離散した大八嶋のうち三柱が捕捉される。それに加え"小嶋"も一柱捕捉される。これにより乙巳の変以前から蒐集していた四柱と合わせて儀式が実行される |
673年 |
壬申の乱後、大海人王が大王となる(天武天皇)。天武天皇政権下で権限の拡大と喪失した蒐集物の回収が計画される |
676年 |
陰陽寮が設置される。陰陽寮へは蒐集院からも人員が多く送り込まれた。これまでに蒐集されていた十四柱の大八嶋のうち半数が同寮に移された。 これに伴い蒐集院は名称を蒐集寮へと改めることとなる。だが、蒐集寮内では蒐集院の名称が用いられた |
681年 |
天武天皇が蒐集寮(蒐集院)から帝紀・旧辞の大八嶋の条の改正を進言される。 稗田阿礼に対し誦習が認められる(後の古事記成立)。王権を高める律令を制定することも発布され(飛鳥浄御原令)、これによって蒐集寮は天皇に従属した機関として勢力を伸ばす方針をとる |
奈良時代 | |
783年 |
蒐集院によって秘匿された異常な事象に言及する多数の和歌を集めた万葉裏集が成立する |
785年 |
蒐集院と異学会が玉牆の誓言を交わし、東アジアの基本的な正常性維持体制である玉牆体制が成立する |
平安時代 | |
986年 | 花山天皇退位。出家後に花山寺に入門(寛和の変) |
995~1000年頃? |
花山法皇がPoI-93と思しき存在と接触 |
1008年 |
花山法王がサーキック・カルトの呪術的技法によってSCP-1420-JPに変異 |
1044年 | SCP-1420-JPがSCP-1420-JP-1を率いて平安京を襲撃。蒐集寮(蒐集院)、仏僧らによって大規模な戦闘が繰り広げられる。鎮圧後、SCP-1420-JPは蒐集院によって衄皇寺に封印される |
1051年 | 末法思想による終焉到来を防ぐため蒐集寮(蒐集院)が陰陽寮とともに准太上天皇小一条院を"岐"とする儀式を行う。この際、想定していた見返りを北家から得ることが出来なかったため、蒐集寮(蒐集院)は王を支援する方針をとる |
1069年 |
蒐集寮による呪術的工作により尊仁王(後三条天皇)が皇位を継承する。これにより蒐集寮と近い関係にあった大江匡房らが登用される。この頃陰陽寮の権威が低下しつつあったが、叡山の活発化が懸念される。 蒐集寮は"大八嶋"の儀を独自に執り行う事を目的とし、大王家に似せた氏族を結成。この氏族に諸神を鎮める術を身につけさせ、秘匿したうえで直下に置く。この氏族は大八洲の祖神の名にちなみ日奉いざなぎと名付けられる |
安土桃山時代 | |
1581年 | 羽柴筑前守が安宅氏より淡路国を奪取し、"淤能碁呂"の直接支配権を獲得。比叡山、将軍家、本願寺などからいくつもの"大八嶋"を織田信長が奪取しており、蒐集院内で信長の独断による儀式遂行が懸念される |
1582年 |
六月。蒐集院の按察司明智日向守光秀によって織田信長が殺害される。蒐集院は大嶋第一番"狭別"、大嶋第五番"比登都柱"、及び大嶋第七番"佐度"を再蒐集した。宮中の第八番"秋津"、大嶋第三番"忍許呂"と合わせ"大嶋"七つの蒐集に成功。管理目的を兼ね蒐集院指導層である七哲が発足する 七月。筑前守の行軍により、明智按察司の支配体制が瓦解する。大八嶋の防衛のため七哲芝山監物(芝山宗綱)を通じて堺の千宗易(千利休)に便宜を計るように依頼する |
1591年 | 秀吉の命により千宗易が切腹する。蒐集院は秀吉による"大八嶋"を簒奪を警戒し、工作を試みる |
1592年 | 蒐集院の工作により秀吉の目を唐・朝鮮へと向けることに成功(文禄・慶長の役)。大嶋第一番"狭別"と大嶋第四番"筑紫"を喪失するも、小嶋第二番"野手"を獲得する。これにより蒐集下にある小嶋第六番"両屋"を併せて七柱の大八嶋が蒐集される |
1598年 | 蒐集院が秀吉の排除に成功。秀吉排除を急遽実行したことにより国内が混乱する |
1600年 | 関ヶ原における合戦で徳川方が勝利(関ヶ原の戦い)。天海及び祟伝(以心崇伝)が蒐集院に復帰。徳川家康殿との関係が良好となり、徳川との協力による大八嶋の蒐集を行う方針となる |
江戸時代 | |
1603年 | 徳川家康が征夷大将軍に任じられる。大嶋第一番"狭別"が慣習から徳川に与えられる |
1609年 | 島津(薩摩藩)が琉球に攻め入る(琉球侵攻)。これに先立ち島津から幕府に対し像が献上される。蒐集院による分析の結果、大八嶋と同一の存在であると判明し小嶋第七番"多禰"と命名される |
1615年 | 大坂の豊臣(豊臣秀頼)が滅亡し、蒐集院が大八嶋の回収に成功する(大坂の陣/大坂夏の陣)。徳川の申し出により日奉椙を"岐"とし、国内平穏と繁栄を目的とした儀式を実行 |
1618年 | 蒐集院が管理していた小嶋第一番"日方"が急速に無力化する。"日方"が発見された児島は干拓(備前児島湾岸の興除新田)によって秋津洲と陸続きになっており、関係が推測される |
1627年 | 将軍徳川家光の紫衣授与制限を批判した大徳寺の沢庵らが処罰を受ける(紫衣事件)。蒐集院本院が寛恕を願いいれるも、大御所(徳川秀忠)と将軍は退ける |
1635年 | 1633年の崇伝死去をきっかけとし、寺社奉行が設立。蒐集院と関係の薄い安藤重長が寺社奉行となったことで蒐集院の寺社に対する干渉力が弱化 |
1638年 | 島原における反乱が終結(島原の乱)。首魁天草四郎が小嶋第九番"天草"と推測される物を保有していたとされるが戦闘により紛失する。蒐集院は南蛮人(ポルトガル人・スペイン人)勢力による儀式遂行を懸念 |
1639年 | 将軍徳川家光の強い意向によって、賀茂宮(後水尾天皇第一皇子。公的には1622年に死没とされる)を"岐"となして蒐集院が儀式を執り行う。「国家の安寧」と「四夷(本来的には漢民族側周辺の他民族の蔑称)の退散」が祈願される。西洋人等を退けることが期待される(第5次鎖国令) |
1644年 | 清と紛争状態にあった南明勢力による徳川幕府への救援要請(日本乞師)を蒐集院が退ける |
1785年 | 老中田沼意次の主導による蝦夷遠征が行われる(蝦夷地開発)。蒐集院から按察司最上徳内らが参加。松前において"大八嶋"発生予兆が確認され、蝦夷地への定住拡大による複数の"大八嶋"獲得が見込まれる。蒐集院は蝦夷地へのロシア人の侵入を警戒する |
1828年 | 按察司間宮林蔵らが、和蘭商館医フランツ・シーボルトの不審点を蒐集に報告。天文方筆頭高橋景保らに対し所蔵の異物と"大八嶋"等の重要物の交換を交渉していたことが判明(シーボルト事件)。蒐集院は天文方の保持していた小嶋第四番"多麻流"の蒐集に成功する。蒐集院、開国阻止に向けた姿勢を強化 |
1859年 | 横浜開港(安政五カ国条約)。西洋人による清国内の異物略奪の報告を踏まえ、蒐集院は大八嶋等の流出を懸念 |
1861年 | 金や生糸等の西欧への流出・輸出活発化に伴い異物も流出する。列強諸国が"大八嶋"を認知していることが推測され、流出している可能性が懸念される。幕府は過去に追放したシーボルトを顧問とすることで対処を試みる(シーボルトの再来日、対外交渉のための幕府顧問への就任)。諸藩や浪士の動きが活発化し国内情勢の不安定化が加速 |
1865年 | "海援隊"がSCP-2500-JP-Aによって創設される |
1866年 | 蒐集院の研儀官"原秋水"が東シナ海にて"極光船"とサカモトらに遭遇。三か月後には仙台藩に別個体の"極光船"が出現。蒐集院は"極光船"を蒐集物に指定した。同年8月に復古神道を掲げる蒐集院過激派派閥が離脱。極光船が大洲藩へと売却される |
1867年 | 帝が崩御。孝明帝と諡号。新帝(明治天皇)が15歳であることにより、国家の変革を試みる運動が活発化。七哲"修理"の暗殺により蒐集院内が混乱 |
明治時代 | |
1868年 |
王政復古の宣布。蒐集院は関与できず状況を傍観 旧陸海軍総裁蜂須賀斉裕が死去。後継の蜂須賀茂韶は新政府方に加担し、"淤能碁呂"の支配権が新政府軍へ完全に移行。蒐集院も朝廷との連携を強化する 十月、蒐集院も一部協力し儀式を遂行。目的は「政体改革」及び「富国強兵」(明治維新) 天文方閉鎖。同局の有する"大八嶋"等の蒐集物はほとんどが、寺社奉行の保有する"大八嶋"と共に陰陽寮へ吸収される |
1869年 |
函館戦争終結(戊辰戦争終結)。総裁榎本武揚は新たな"大八嶋"を政府に献上。小嶋第十番"蝦夷"と命名 |
1870年 |
明治政府高官でありSCP-2500-JP-Aの協力者として知られる元土佐藩士後藤象二郎の支援のもと、元海援隊経理役であり後の三菱財閥初代総帥岩崎弥太郎によって、海援隊を前身とした欧米風の正常性維持理念を持つ"九十九機関"が創設される 陰陽頭土御門晴雄の死去により陰陽寮が廃止。"大八嶋"等の蒐集物は晴明院等政府管理下に置かれる。土御門晴雄から養子の晴榮へ継承された大嶋第六番"狭手依"等一部の蒐集物は民間化した陰陽寮により管理される。晴明院が天皇直属の超常機関となり、江戸幕府より回収された大嶋第一番"狭別"及び小嶋第七番"多禰"を蒐集 |
1873年 |
修験廃止令。四明院派などの仏教勢力は弱体化し、小嶋第五番"忍男"などの蒐集物を喪失した。"忍男"は九十九機関が確保する |
1874年 |
蒐集院が千島にて"大八嶋"の発生を確認。諸機関と調整の結果回収に成功。小嶋第十一番"千島"と命名 |
1875年 |
千島樺太交換条約制定により、蒐集院は大八嶋の回収を断念し樺太を撤退 |
1879年 |
奄美にて九十九機関が大八嶋を発見。小嶋第十二番" 阿麻弥 "と命名。これにより九十九機関は国外から買い戻した大嶋第四番"筑紫"・第五番"比登都柱"を含む五体の"大八嶋"を保有 |
1888年 |
日本政府及び陸軍が異常事例調査局発足させる。発足に伴いプロイセンへ渡っていた大八嶋(小嶋第二番"野手")が譲渡され国外に流出した大八嶋の大部分が国内に戻る |
1890年 |
蒐集少進葦舟龍臣が"大八嶋"らしき未知の異物を報告。千年以上にわたり喪失されていた水嶋第一番"水蛭子"であることが判明する |
189█年 |
陸軍過激派の将校による超常機関襲撃事件「臥龍事件」が発生。蒐集院の七哲を含む幹部のみで死亡14名、重症8名の被害。異常事例調査局が国内最大の勢力として台頭する |
1900年 |
臥龍事件後の混乱が収束。蒐集院は最終的に小嶋第八番"千島"及び小嶋第十三番"阿児奈波"を喪失。九十九機関も大嶋第五番"比登都柱"及び小嶋第五番"忍男"を喪失。多数が陸海軍、異常事例調査局へ渡る |
1901年 |
陰陽寮が超常現象の確保収容に関する王立財団(Her Majesty's Foundation for the Secure Containment of the Paranormal)や全米確保収容イニシアチブ、独逸帝国異常調査局等列強の超常機関等を合して成立した、「人類及び総意現実の保護に関する財団(Sapiens and Consensus-reality Protection Foundation, SCP財団)」、通称「財団」に吸収され、大嶋第六番"狭手依"が財団管轄下に |
1905年 |
日露戦争終結(ポーツマス条約締結)。樺太の異物蒐集は蒐集院が担当する。異常事例調査局は朝鮮半島における第三次白澤計劃を開始する |
大正時代 | |
1917年 |
理外学研究所設立。政府管轄下の小嶋第三番"一根"を移管 |
1918年 |
蒐集院が樺太にて未知の小嶋を捕捉。小嶋第十四番"唐渡"と命名する |
1920年 |
財団と異常事例調査局が協力関係を樹立。異常事例調査局は日本を代表して同盟オカルト連合(AOC)に加盟 |
昭和時代 | |
1927年 | 帝の行幸中に小笠原にて未知の小嶋を捕捉。小嶋第十五番"無人"と命名され、艦政本部対超常課の管理となる |
1930年 | 陸軍と蒐集院の協力により葦舟龍臣を代表とした葦舟機関が設立され、虚四生類技術局、虚六技術研究所等の陸軍超常機関及び蒐集院から人員・資産等が供出される |
1931年 | 異常事例調査局と葦舟機関が関与し満州で事変が発生する(満州事変)。蒐集院内部では軍部との関係見直しが検討される |
1932年 | 異常調査局がAOCから脱退。対外協調路線を放棄。財団等国外組織の国外排斥が行われる。陸海軍において五月一五日前後より一部の将校が集結する(五・一五事件)。理外研、九十九機関などが大陸進出を試みる |
1935年 | 朝鮮人の同化による"大八嶋"拡大の進行の遅滞により、朝鮮総督府が神社参拝の強制を開始(皇民化政策) |
1936年 | 陸軍将校により争乱が生じる(二・二六事件)。勉強会等の活発化。左派協調路線の「判官会」に小嶋第十一番"千島"の所持者等が参加 |
1937年 | 葦舟龍臣が蒐集院を離反、小嶋第十四番"唐渡"を含む多数の蒐集物を強奪。葦舟は葦舟機関を土台として"大日本帝国陸軍特別医療部隊"を設立する |
1939年 | 後方勤務要員養成所卒業の三川十七が"水嶋"を発見。水嶋第二番"淡島"と推測され、蒐集院は外部協力者として三川を葦舟に代わって支援 |
1941年 | 大日本帝国政府、米国英国等に対し宣戦布告(太平洋戦争) |
1942年 |
水嶋第二番"淡島"を保有する三川の加入する三千機関の設立を蒐集院が援助 ミッドウェー海戦にて大日本帝国海軍航空母艦「飛龍」が沈没する。その後、アメリカ海軍ヨークタウン級航空母艦「ヨークタウン」の調査中にSCP-1942-JPが発見される |
1943年 | オブスクラ軍団の工作により「グラーフ・ツェッペリン」は表面上建造中止とされ、秘密裏に建造が進められる |
1944年 |
凍霧天男爵が陸軍、九十九機関の協力で研究機関を設立。同機関は虚四生類技術局等を統合し、九十九機関から小嶋第十二番"阿麻弥"を得る 大本営の命令により国内諸機関の協力の下、戦況改善を図る儀式が実行される。蒐集院本院が中心となり関与。未知の理由により中途で失敗、甚大な被害が発生 「グラーフ・ツェッペリン」を改造した空母「ニーズヘッグ」が完成。進水後、複数回イギリス海軍と交戦する。同年、ノルウェー沖にて沈没 |
1945年 |
二月、民間輸送船や海軍艦艇に対する出所不明の攻撃が多発する。GOCにより「ニーズヘッグ」が水深1500m付近で発見され、その後の交戦により「ニーズヘッグ」は深海2000m地点にて活動停止 五月、大嶋第五番"比登都柱"を蒐集院が捕捉。蒐集院は異常事例調査局からの返還要求を拒否 八月十五日、連合国に対し無条件降伏すると正式に報道(太平洋戦争終結、ポツダム宣言)。五行結社、皇室から決別。第八番「秋津」が五行結社へ渡る。蒐集院内は連合軍内の「財団」への参画派と、本院を中心とした参画反発派に分かれる 九月、蒐集院の七哲、九十九機関副総裁を含む抗戦派が離脱。財団は対処に失敗。蒐集院が対応する。紀伊沖で大規模戦闘が発生し、蒐集院勢力が勝利。"大八嶋"の半数を喪失する 九月三十日、名古屋協定に修正を加えたオノゴロ四五協定を締結。蒐集院の財団八一管区内における一定の地位が保証され、保有する大八嶋二柱をはじめとする諸蒐集物・資料を財団が継承する 十二月三十一日、81管区設立宣言。財団への継承が実行される |
1946年 |
GHQによって九十九機関が解体され、財団日本支部として財団に合流する 財団艦船「あづみ」 の通信によってSCP-1942-JPに対し攻撃を中止させる試みが行なわれる |
1950年 | GOCによって「ニーズヘッグ」の完全な無力化が確認され、脅威ID「 LTE粛清済脅威存在 -1945-Caliburn」への再分類が行なわれる |
平成時代 | |
1995年 | 兵庫県南部地震による大規模地震災害が原因となり収容サイト-81██からSCP-1420-JPが収容違反。航空自衛隊協力のもと航空爆撃を実施して再収容 |
1998年 | 潜水調査に随伴した財団エージェントが"いろは丸"とそれに搭載されていたSCP-2500-JPを発見 |
2015年 | SCP-1942-JPによる21発の高角砲発射を確認 |
執筆者ガイド
─ Guidelines for authors ─
この連作では現実の史実を題材とする作品を扱うため、必然的に歴史、特に日本史に関する知識が不可欠です。しかし、高校で使用する日本史の教科書や資料集からでも作品の題材が得られるでしょう。
また、この連作に大きく関わる要注意団体でもある、蒐集院に関する知識もあるとなお良いでしょう。その他にも、負号部隊やオブスクラ軍団のような軍事系の要注意団体や、IJAMEA大日本帝国異常事例調査局のような戦前の公的機関系の要注意団体、サーキック・カルトや壊れた神の教会のような宗教系要注意団体でさえも、あなたのアイデア次第では作品の根幹を形作る要素となり得ます。
この連作の作品を作り上げる上で大事であるのは、「作品にリアリティを持たせる」ということです。ただ歴史上の出来事にアノマリーを登場させるだけでは不十分です。アノマリーを歴史の上に登場させるまでの過程を描くことが、高評価への道となるでしょう。また、作品を「現実の史実に近づける」ということも重要でしょう。何の事前情報もなく、作品中に架空の人物や出来事を入れることは推奨されません。というのも、財団は手当たり次第に歴史の隠蔽や改竄を行なうわけではないためです。歴史上において、「異常」に繋がる部分のみを隠蔽し、そこに偽の歴史を上書きすることで、異常のない「歴史」を作り上げているのです。
歴史を題材とした記事と、この連作の違いについても意識する必要があります。SCP財団において歴史を題材としたものは多く存在します。歴史タグは非常にポピュラーなものです。架空の古代文明や世界大戦における秘密兵器など…様々な記事が歴史タグには含まれています。ではそもそも、「隠された歴史」と従来の歴史系記事との違いは何でしょうか?これまで数多ポストされてきた多くの素晴らしい歴史記事との決定的な違いは、この連作は"歴史の隠蔽"と"作られた史実"をテーマとしている点にあります。
「隠された歴史」に属するものは、単に歴史タグを持つ記事とは違い、現実の史実を基にしており、且つその歴史は財団によって改竄された結果であるとする前提があるものでなければなりません。単に独立した架空の歴史的イベントを創造するのではなく、現実世界における史実と密接な関係にあるという構図を創造しなくてはならないのです。"隠蔽"についても同じことが言えます。記憶処理などは財団が異常存在を秘匿する常套手段ですし、カバーストーリーも情報を隠蔽/隠滅するためによく用いられます。「隠された歴史」においてもこれらは共通ですが、当カノンでは史実とされているものがカバーストーリーの役割を担っている必要があります。つまり、そのカバーストーリーこそが先に述べた"作られた史実"である必要があるのです。
至極簡単に言えば、
- 架空の歴史を創作するうえで、「史実」を絡めていること。
- 一般的に史実とされているものが「カバーストーリー」であること。
ということがこの連作のルールであり、通常の歴史記事との差異となります。
「隠された歴史」は、「歴史にまつわる記事が書きたい!」「史実を基にして記事を書きたい!」という方にぴったりの連作です。
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